サイト内の作品やひとことダイヤリーで詩とは何か感じたこと[146]
2024 04/11 11:33
おぼろん

>足立らどみさん

おはようございます。……妙に寒いと思ったら、遠くの山には雪が積もっていました。この気候、早くなんとかならないかな。昨日は案の定熱を出してしまい、幸いなことに煮付けは作りおいていたものがまだ残っていたので、魚だけ焼いて、父には「適当に温めて食べてくれる?」と。ご飯もありましたし……
「中立性の面影」についてですが、やはりそこは「公正」でも「公平」でも「客観的」でもなくて「中立」で、「感じ」でも「印象」でもなくて「面影」で、なければならなかったんですよね。……多分、足立さんの書き込みが真剣だったので、それに素で答えないとと思ったんでしょうね。このところは避けていた態度なんですけれど。
わたしは詩論は書かないけれど詩人論は書きたいですし、詩については知らないけれど詩の言葉については少し知っていて、馬鹿々々しい回答かもしれませんけれど、散文の言葉は「meanings」を伝える言葉、詩の言葉は「attitude」を伝える言葉なんだろうと思っています。
日本における詩の悲劇というのは、近代になってから「歌」という言葉が「詩」という言葉に置き換わってしまったことで、「詩(shi)」というのは当然「死(shi)」を連想させる。これは言葉遊びではなくって、英語だと眠れない夜に「one sheep」「two sheeps」……と数えますよね。これは「one sleep」「two sleep」の訛りだからで、言葉というのはそういう機能を持っているのだと思います。
わたしの書き言葉は……もともとはプログラミング言語です。10歳くらいのときから、長兄の影響でプログラムを組んでいましたし。国語や英語はもともと赤点ぎりぎりで、プログラミング言語のように言葉を「システム」と考えることによって、ようやく人並みに文章が書けるようになったと言いますか。
今、足立さんにとってわたしの思考のベースが標準語のように見えるのは、仕事柄の慣れですね。広告ライターの仕事は8年くらいは続けていたと思うんですが……。その後に「です・ます」調で批評なども書くようになって、わたしなりにそこに批評というものの新しい可能性を見たりはしているんですが。……どうでしょう。今後必要になれば、また文体は変えるのかもしれません。
今でも、切羽詰まったり余裕がなかったりすると、詩のように行分けして書いたりしますよ。足立さんは、文字数をそろえるようにお書きになるのですね。一つの詩のスタイルであり、足立さんはやはり詩人なのでしょう。
標準語にからめてもう一つ、わたしは若いころに関西に住んでいたこともあって、関西弁が好きなんですよね。関西弁だと「あかんやん」とか「いけず」とか、単語で作用する言葉がある。「なにしとん(ねん)」とかね。東京の人だったら、「お前何してんだよ」というふうに「お前」がつくけれど、関西ではあまり「自分なにしとんねん」(「自分」は関西弁では「お前」の意味)とは言わない。多分、標準語というより関東弁は「meanings」としての性質が強く、関西弁は「attitude」としての性質が強いのだろうと思っています。人と人との間隔が近いんですね、きっと、関西のほうが。
「詩」についてお伝えできず、申し訳なく思います。わたしは多分今後とも「詩」については書かないと思っています。
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