多様化する倫理観[84]
2005 04/21 16:00
不老産兄弟

>>83>何度も書いてる事を繰り返すのはためらうところなんだけどね、>社会的規範・社会通念に鑑みて「恥ずかしい」ってのは外的要因なワケ。>オレが書いてるのは、自分自身に対して恥ずかしいか、恥ずかしく無いかっていう、>内的要因を問題にしてんのね。

確かに、犯罪そのものが性嗜好である場合と、特定の性嗜好がある社会の中で犯罪に繋がっている場合とをはっきりと区別した上で話をするべきかもしれません。まず社会がこれらの違いを認識することで、様々な性嗜好に対するバリアーがある程度まで取り除かれることは考えられます。狂牛病の感染経路の認識不足が牛肉の消費を必要以上に低下させているのと同様に、人々の性犯罪に対する恐怖がマイノリティに属する性嗜好に対して抱く偏見の要因となっているのは事実です。これら二つの性質の異なった嗜好を混同して考えてしまう傾向には問題があるといえるでしょう。
>『「恥ずかしいことをする」自分を肯定してしまいかねない』ってのは、>肯定する事に対して否定的である事を前提にした発言だろ?>世の中には、中学生がタバコに興味を持つようにインモラルに惹かれる人間てのも多い>ものだぜ。

これは確かにそうです。

しかし同時にここで考えてしまうのは、この中学生の喫煙のように、背徳感が動機となっている行為は、前者(犯罪そのものが性嗜好である場合)に近いものがあるのではないかということです。そうなると、これらの内的要因の程度を区別しているものは何かというと、インモラルに惹かれる自分をコントロールする力の有無であり

・ 生まれつきこの力を身につける能力
・ 学習によってこれが学ばれたかどうか
・ コントロールする力はあるが、インモラルな行為へ向かう動機がそれ以上に強化されてしまったかどうか

こういったところになってくるのでしょうか。
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