多様化する倫理観[713]
2005 05/27 01:57
山田せばすちゃん

>>710
いくら発言を促したところで今より進んだ内容の書き込みがなされることはないでしょう。そんな問いかけは俺たちだっていくらもやってきましたから。こちらから問いかけた事柄は無視、もしくは縷々と言い訳とも愚痴ともつかぬものを並べ立てて回答を後回し、そのくせ書き込むことは同じ内容の事柄を粗雑な類推表現で繰り返すばかり。本当に体調が悪かったり家庭の事情があるならそういう書き込みだってできはしないでしょうに。
ナチスだのアルコール依存だの地球環境問題だの、思いつくままに簡単に持ち出してきては「児童ポルノは〜のようなものです」とやらかす手口にはもう飽き飽きしています。ナチスにはナチスの、アルコール依存や薬物依存や地球環境問題にはそれらなりの、詳細かつ固有の事情や論議があることなどお構いなしに粗雑に類推を重ねてはひたすら児童ポルノは悪だ悪だと繰り返すばかり。
彼女(なのだかどうだかももう俺には疑わしいけどそんなことはどうでもいいです)に決定的に抜け落ちているのは「自らもまた悪であるかもしれない」という視点です。彼女がこれまでに非を認めたのは、自らの稚拙な文章について、あるいは感情的な書き込みをしてしまったことについて、のみであり、その主張内容そのものに関する反省は一度たりともありません、むしろ、文章が稚拙であろうとも、感情的な書き込みをしようとも、自らの信条、主張は正しいのだからそれによってそれらはすべて免罪されるとも言いたげな御様子です。
ナチス、アルコール依存、薬物依存、ペドフィリア・・・彼女が類推して悪だと決め付ける事柄はどれもこれも彼女には無縁です。彼女はナチでもなければアルコール依存でもましてや薬物依存者でもない。彼女は彼女の定義するあらゆる悪とは無縁な存在として、言うなれば絶対的な正義の担い手であるという強者を僭称しているのです。その上で、市井に住む子を持つ母親という弱者に、あえて自らを偽装させて繰言のように同じことを言い募る。弱者を装った強者、この構造は自らを「私はただ、ここにいる、一人の小さな個人でしかありませんから。」と定義つけつつも俺や奥主氏にその特権性を批判されているひろよさんにも共通しています。
俺たちはまずもってこの構造を解体するところからはじめなければならないのでしょう。
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