2016 08/08 13:27
ハァモニィベル
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詩や文学について、科学論文のように議論できると錯覚してる輩がたまにいますが、そういう議論というのは、内側にいる作り手ではなく、やはり学者というか、外側から見て研究する観察者の目でするものであって、実践的な創作者・表現者というのは、自分の詩論や文学観といったものを直勘的・批評的に語ればよいし、それに、但し、(私の言う意味で「おもろしく」)語るところに、むしろ価値がある、と思いますよ。
だからこそ、その人の言わんとしていることに、寄り添っていく、深く入っていく、という読み方が、そこでは大事になるわけです。
そもそも、科学精神でコミュニケーションしているんであれば、書き手として、分かりにくく表現してる時点で、ダメでしょ、それは。
逆に、普通の言葉では伝えられないような思いや意味だからこそ、吃ったような表現に籠められている、というのは至極当然だと思うんだけれど、
大したことのない、極平凡な内容を、吃り吃りもったいぶって書いたり語ったりするのは、アホなんだろうな、と思うしかない。
まずは、そういったことを踏まえて、
「現代詩」を語るなら、世界各国の現代詩はどんなか、とか、文学といえば、まず詩と考えられてる中で、日本はどうなってるんだろう、っていう辺りの考察もほしいかもね。
また、「わかんない/ああわかるわかる」を論じたいのだとしたら、
現代アートの屁理屈である〈反理性〉による退化についても、触れてほしいかもね。
といったことなんですが、
その辺りをうまく吸収した企画を考えてほしいわけです(理想ですが)。
そういったことや、そうじゃないこと、など
諸々、皆さんのいろいろ気になっているテーマを企画化する
ということです。
もし、できれば。
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勿論、たんに、思いついたことの雑談も、歓迎なのは、
そこから、なんとなく企画が思い浮かぶかもしれないから。