【petit企画の館】/蝶としゃぼん玉[784]
2020 06/27 19:36
ハァモニィベル

下記を受けて)コメント。加筆あり。

タッコングは、「入選・落選」ということに価値を置いて、私を誘ってくれているわけだな。


千代子さんは、裏側での風紀の乱れに無価値を置いて、私を止めているわけだ。


両方とも、まるで私がその《環境の中に》組み込まれてしまう人間だ、と思っているようだ。

特に、入選落選という価値については、NHKの紅白歌合戦を考えてみればいい。
かつては、紅白に出ることは名誉なことだった。実際にも国民的ヒット曲と歌手が並んでいた。ところが、いまの紅白には見る価値がないだろう。そうなると落選しても不名誉な感覚を抱けないという別の意味での残念さしかないのではないだろうか。

投稿者を、自分の環境の型に組み込むことを良しとするような、雑誌や出版社は、
新しい時代を切り開くことはできない。(良き伝統は守っていくべきだけどね)


どうやって入選しようか、と考えることは

どうやって売ろうか、と商売で儲けることを考えるのと似ている。

経営という事を無視することができないのは勿論だけれど、

ただ売れればいい、儲かればそれでいいという仕事(=受け手に満足感がないもの)は、

文芸性をもった作品
(マンガやドラマや映画も含めて)の場で それをやってれば

享受する側の信頼を裏切りつづけるから、やがてはその場所自体が衰亡する。


ましてや、《詩》であれば、本来は最も純度の高いものだ。

絵画や詩である筈のものが、ただの落書きに鑑定書がついて売られるようになると、
それをみた人々の精神そのものが荒廃して、平気で風紀が乱れるようにもなるだろう。



感動させるから、考えさせるから、新しい世界に眼を開かせてくれるから、心を洗ってくれるから

だから、売れる。

だから、自然に人が集まる。(不思議と人を惹きつける力がある)


そういう精神と、目利きが、編集の方々に在る 雑誌 には、私は投稿してみたいな、と基本的に思うと思う。

そういう気持ちというか心は、何処かに必ず在ると思うんで、ジャンルに囚われずに

感動を受け入れてくれる場所を、探してみるつもりでいる。それが何処かはいまは解らないけど。






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