2019 05/16 18:59
ハァモニィベル
マヨラーだったのか。
せめて、マヨネーズソムリエとでも名乗ってくれ。
(ソムリエもなかなか大変なのは、母国語以外で評言しないといけないルールがあることだね(コンテスト規則で)。日本の英語教育に取り入れてほしいね)―余談
スリランカでは、ティーテイスターが医者や弁護士より社会的地位が高いんだとか。むかし、何かで読んだことがある。絶対音感ならぬ<絶対味覚>は、一流大学でも学べないからな。
フランスで芸術家が家族にいると鼻が高い、というのと似ている。
日本ではオタク扱いになるか、出る杭あつかいだな。
外国で賞を取ったりすると、一気にその印籠に頭を下げるのが日本だ、という印象だ。
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タッコングが、<撰>というから、一瞬わかんなかったけどさ、
どうやら、俺が5年前にやった手法を示唆してくれてたのかな。
『ゲラゲラ』とか、あの手法だな。
あの頃は、わけのわからない前衛詩の書き込みが多かったから、それを皮肉る意味で
俺が、読者主義の批評で、勝手に膨大な想像を膨らませてツマンナイ作品を面白くするという前衛批評をお見舞いしてた頃でもある。
詩も書いて、批評も書くから、器用だと驚かれた(批評家でない詩人はいないというけどね。その逆はいるにしても)。別人がワンネームなんじゃないかというあらぬSFもどきの疑いもあったみたいだが、マヨネーズソムリエなら、一貫して一人が書いてることが解るはずだ。
剣道のフォームは、手足とも前が右で左が後ろなんだけど、それを逆にする(左まえ右うしろ)とさ、みんな素振りができなくなるんだよね。でも、俺は左右入れ替えても、綺麗な動作は変わらないんで皆おどろく。そのまま試合もできるしね。
まあ、脳が器用なんだな。
ところで、
<撰>ていうのは、シェフの素材選びの選定眼だね。
俺の言葉でいえば<味覚>だ。
また、きみは
「編集」というコトバでそれを言い換える。
俺の言葉でいえば<料理の腕>だ。
だから、<撰>と一口に言っても、
(1) 素材の味がわかること
(2) さらにそれをどう料理したら美味しく味わってもらえるかが想像できること
の二つが含まれてる。
そして、料理人は実際に調理して出さねばならない。
シェフである書き手としてはそうだが、
それを食すグルメ(評者)というのは、
その料理を食べたとき、
上の、(2)と(1)をさかのぼって想像できるのが普通だ(と俺は思う。他の人もそうであると思いたいね)
そこで、そのシェフ(=作者)の<撰>のちからが解る。
わりと多いのが、
(1)は良いのに(2)が不味いというやつね。こういうのは、料理し直してやると美味くなるんだけど、要するに現状では食べられない=不味いってことだ。
不味い料理を、「おいしい、おいしい」と言ってる印籠文化があるうちは
<味覚>も<料理の腕>も発達しないし、シェフもグルメも育たない。
(勿論、何でも「マズイ」としか言わないマヨネーズキングは論外だけどね)
(黙殺したまま知らぬ顔でシェフの残飯をパクるカラスの群れしかないのでも困る)
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タッコングが、<撰>なんて曖昧なことを言ってると、俺もオレ的にはわかり切っている事を書くはめになって退屈だから、何か、実践的ゲームにしてくれ。
よろしくね
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