【petit企画の館】/蝶としゃぼん玉[53]
2016 08/05 17:43
るるりら

>>40渚鳥さん
渚鳥さんの詩を私は好きです。
渚鳥さんご自身の進歩が見えないとのこと。なるほどです。と、いうのは わたしも進歩なんて 見えてないから、なるほどなのです。

わたしは、ある詩友に「ぴよ」と あだなされたことがあります。それは、
その詩友と十年くらい喧々諤々と詩の話をしていたころのことでした。
その詩友によると わたしぐらい「変化のない詩書きも 珍しい。」とのことでした。
そして、彼は言いました。「もう これほどの進歩のなさは、才能だ。万年ヒヨコのようであることなんて、なかなかできることではない。」とのことでした。
その言葉が、私には とても 嬉しかったんです。よく考えると、嫌みと とるべきなんですけど、
たしかに ずっと その詩友とも長いこと楽しくやってきたのです。自分でも 「ぴょ」でありつづけているという才能があると 思いました。

「ぴよ」と言われて、ほんとうに私は嬉しかったのですが、その詩友さんは わたしのことを「ぴよ」と言ってからまもなくして、詩を書くことをまったくやめておしまいになりました。そのとき 私は、はっきり解りました。わたしには詩作を継続する才能があるのです。

詩にたくさんポイントが入ることが 良い詩というわけではないことは、多くの読者が感じていることです。そんなことは百も承知です。わたしの詩にポイントがたくさん入っていても、レベルがあがっている保障なんて どこにもない。でも、わたしには 「ぴよ」であるという才能があります。前にしか進めないのが ひよこなのです。

こんな私に「あきらかに 進歩している」と言ってくださった方も いました。(ながくやっていると不思議なこともあります。)その方は、とても痛烈な批判しか私にはしておられない方でした。進歩しているといわれて、私は とても うれしかった。躍りそうでした。
けれども、今 思い出そうとしても具体的に どの詩を褒められたのかは、記憶できてないんです。
もしも、褒められた作品を覚えていたら、わたしはもう「ぴよ」では もういられないです。
褒められたことに心を奪われてしまったら、作風も褒められそうなものばかりになっていたことでしょう。

進歩はなくとも、わたしの心は いまだ 自由です。だから、すこしもえらくなってない。
旧かななんて 知らないよ。教えて!って 初心者のように言えてしまいますはい。
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