2017 07/15 00:18
ハァモニィベル
>>436 は、
島崎藤村の観た「椰子の実」は、
柳田国男からの伝聞であった
という有名な話を、(勿論)示唆しているわけですが、
要するに、
観る人の受容器によって
そこに、
何が漂着しているのか、
直に見ていてもスルーする「未読」な人と、
伝聞でも察知できる真の経験ができる人がいる
というような岸辺に漂着してほしかったように思います
例えば、
釈迦の弟子の中で智慧第一の誉れ高く、のちには釈尊が代わりに説法もさせたという
舎利弗(シャリホツ)という人がいましたが、
この人が弟子になったキッカケは、(十大弟子はみなキッカケが面白いのですが)
その頃、悟りを開いたばかりで無名だった釈迦の説法を、直接聴いた二人の僧に会った舎利弗が
「一体釈迦はどんな話をしたのか」彼等の飛び飛びの記憶から出る釈迦の言葉を聞き、
その言葉の主(釈尊)のスゴさをすぐに察知できた、からだといいます。
リアルとは、
外にあるものではなく、
有る人の中に有る
というような、そんな感じの話でした。
(おやすみなさい)
*