【petit企画の館】/蝶としゃぼん玉[359]
2017 01/21 21:06
ハァモニィベル


というわけで、アイルランドなわけですが、

 というわけのアイルランドといえば、

   オシアン(Oisin)ということになります。


キリスト教が入ると、それ以前にあった土着の民俗信仰は、「異教」として残存し、
取り込まれるか、対立する、のがよくある歴史で、

深く根ざしていて軽めの習俗なら、
前者(取込)になって、ゲルマン民俗からのクリスマスツリーのような、アラタナ習俗に
つながったりしますが、

カリスマが優位しかねない場合には、後者(対立)になって、
「異教」は延いては「異端」として、魔女狩り、魔女裁判のような残虐な弾圧キャンペーンに
つながったりします。

 アイルランドで異教となるのは、ドルイド教でした。ケルトの民俗信仰ですが、霊魂不滅
とか自然崇拝の思想があったとされます。

(パリ万博に江戸幕府が出品したとき、その東洋の自然観が、西洋人にショックを与えた
 という話を以前べつのところに書きましたが、その驚きが刺激になって
 ジャポニスム、アールヌーボーに繋がったという、その通りだとすると、
 西洋の自然観と対立する自然観が、古い西洋にもあったというのが面白い所です)

さて、

オシアン(Oisin)は、古くアイルランドで語り継がれた伝説の英雄詩人ですが、

 父親は王様で、その王に恋した妖精が生んだのがOisinでした。鹿に姿を変えられた
母親と一緒に森に住んでいたところを、父の王が見つけて、Oisin=鹿の子供と名付け
た、という(かなり私好みの)人でもあります。

  オシアン 「教会の鐘の音よりも、自然界の生きものの声のが素晴らしい」
  St.パトリック 「森に住み狩猟する騎士の殺生を躊躇わぬ精神性の無さよ」

異教風味のオシアンが、基督教風味のセント・パトリックに語りかける
バラッドの中のこんな対話に、そんな異教的対立の香りを嗅ぐこともできるようです。

と、ここまでが前置きで、
ここからが本題なんですが(笑)。


(ハーンの話題で、長庚さんが)

>日本文化に似通ったものを見出だした、人物
>〔気質が、日本と〕アイルランドと、地下深くで結び付いている・・・

と言っていました。

それは、

ハーンが、

     浦島伝説

にも注目したことを言ってるのだろうか、
言ってないだろうな多分、と思いつつ

(わたしは)、以下の二つを連想したのでした。

#以下二つとも引用でなく文章はわたしです。


■(ハーンの浦島太郎)-摘要祖述-

ウラシマは故郷にもどると、一族の苔むした古い墓を見た。自分は、もう四百年も前に死んだとされていた・・・。
動転した彼は、その「箱」を開けてしまう。白い幻が、「夏雲のように」空に舞い上がって、流れていった。
彼は絶叫する。そして見る間に、身も心も老い衰えて、そこに、・・・倒れた。



■(ケルト伝説にある似た話)-摘要祖述-

オシアンが狩りをしていると、美しい娘が現れて、彼を、自分の住む永遠の若さの国に連れてゆく。
二人の乗った馬は海上を駆け抜け、たどり着いたその国で、幸福を満喫したオシアンだが、やがて
望郷の念止みがたく、乙姫ならぬニアムという彼女に、
  (絶対に馬から降りて地面に足を付けないこと)
を、固く約束して戻ってくる。と、故国の姿は一変していた。驚愕して見て回るうち、村人を助けるため
馬上で持ち上げた石のせいで、オシアンは落馬してしまう。
地に足が付いた途端、彼の身体は一瞬で老人になり、
あれから三百年が経過していたことを知るのであった。

…オシアンがこの数奇な経験を語る相手は、むろん、St.パトリックである。


というわけで、

 小泉八雲 から、 バラッド と来て、

 オシアン から、 浦島太郎 まで来ましたが、


べつだん、

 『怪談』 ―→ 「ゴシック」 

などと、

どなたでも、いろいろなお話を展開していただいて構いません。


シャボン玉がわれるまでは



# 「オシアン」という表記には、マクファーソンの問題があるので、区別して「オシン」と表記を別ける用法があるが、音の響きを重視して、ここでは、「オシアン」とし、区別がつくように(Oisin)を併記した。


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