2017 01/10 22:49
ハァモニィベル
>>315(作品、by蛾兆さん)投稿感謝です。
書き出しのモノローグのところ、そこが、詩でないようでいて、
じつは、そこが、この作品の詩である部分だ、と感じました。
それは、そこから下はまずいという意味ではなく、それによって、
命題を含んでいながら、論証性が薄く展開されてゆくこの作品の
そこから下もすべて詩になったから、という意味で、この作品の
味の要はその書き出しの所にあります。
*
〈そこから下〉だけでは、微妙になったかも知れないのは、第四連
が弱いからです。
「機能美」に関する部分が、このままだと、賛成派からも反対派
からも共感しにくいのではないかなあ、と思います。。
エ氏の言う「機能美」は、おそらく、無駄のないシンプルな美しさ
ということで、それは、当時定番だった「装飾過剰」趣味に対置した
ものでしょうから。論点をズラして批判してるように見えます。
1900年のパリ万博の時でさえ、実際は、アール・ヌーボーではなく、
装飾華美のクレーム・シャンティー様式というネオ・ロココ調が支配的
だったといいますから、鉄骨剥き出しは、許しがたいほど常識に反して
いたということなのでしょう。それは、逆に言えば、装飾過剰に関して
はどんなに異常でも疑いを持つことがなかった、ということでもあります。
(当時のひとが、なのか、誰がなのかは不明ですが)
論点をズラして批判している印象があると、全体の説得力に影響しま
すから、折角、ラストのところで、一歩踏み込んだところも、弱く感じ
てしまうように思い、惜しい気がしました。
*
(もう一つは、)
二万五千年(前・後)の人が、「かの天才」、「誰か」として、語り手とは
別人として出てきますが、それらが、対象物をどう評価するか、の予測は語ら
れるものの、語り手自身は、いったい、ラスコーの壁画と、巨大建築物と、現
代詩フォーラムの、この三者の関係をどう見てるのか、どうも、しっくり伝わってき
ませんでした。(どう捉えていても、いいのですが、捉えている感じがしない、
ということです)
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(最後、)
「へんな記号」 と定義する感覚と、「詩だ」 と判断する感覚のところ。
この感覚が一致するとして、その場合、その点になにか、腑に落ちる表現
が欲しいような気がします。(理性でなく、感覚とか直観のレベルで、です)
仮に、たとえば、
〈へんな記号も詩である〉 という命題がイメージされてしまう可能性があるとしたら
その命題に対しての、〈どんな場合は詩でないか〉という説明が、作り出すイメージ
のなかに必要だと(わたしなら)考えます。
ま、「わかるのだけど」、と、「わかる」という言葉を使わずに、
「感じる」とした方が、よかったのかもしれません。(あくまで私の感覚です)
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みなさん、力作を贈って下さり、喜びのあまり、
色々細かいことを述べてしまいました。サービスし過ぎましたら
何卒、お許しの程、ひらに、ひらに。
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