2017 01/07 02:39
ハァモニィベル
* (前回の話から)
全体の秩序のため「個」に犠牲を強いるのがムラ社会ですが、
どこまでもその中から出られなければ、美しい魂は、松陰のように
「忠義」を貫いたりして、歴史に命を捧げるよりないのかも知れない
なぁ、と思います。
その社会(大きいもの~小さいもの迄ある)が、共同体化していると、
つまりムラ社会だと、どうしても、際立った「個」ほど、共同体の重圧に押し
潰されてしまいます。
そして、個人は共同体と運命をともにしている状況に繰り込まれてしまい、
その共同体=コミュニティを守るために犠牲になるか、ともに滅びることになります。
そうならない為には、アソシエーション(目的の為にある便宜的集団)をフルに活かして
柔軟に生きていくという具合に頭を切り替えた方がよいのですが、
どうも、日本人というのは、集団を作ると「ムラ社会」にしかならないようなんですね。
だから、役に立つアソシエーションも、どこにあるのか、あんまり見当たらないわけです。
(かつて、成功した例に、薩長連合がありましたね。でも、これには、坂本龍馬というある意味めずらしい国際人というか、
それなりの人物・人材が必要でした)
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『孤独な群衆』(Lonley Crowd 1950)という本を書いた、リースマンという社会学者によれば、
人間には、3つの類型があるといいます。
1つは、「伝統志向型」の人間で、
自分の思いよりも、社会のこれまでのしきたり、伝統を重んじるタイプです。
安政の大獄で吉田松陰を殺した井伊直弼は(桜田門外の変で殺されましたが)、このタイプかもしれません。
時代の流れが読めなかったのか、立場上なのか、幕府の権威・威信を(かなり強引に)回復しようとした人です。
2つめは、「内部志向型」の人間で、
自分の価値観に忠実に生きようとするタイプです。吉田松陰はこのタイプでしょうね。リースマンが想定したモデルは、
新大陸に生きたピューリタンですから、松陰がアメリカに行きたがったのも頷ける気がします。
3つめは、(有名だからご存じだと思いますが)
「他人志向型」の人間ですね。
これは、
自分自身がよくわからなくて、他人や、周囲を見回して、それに倣う人のことです。現代の消費社会の住人は、
この手が多いわけでしょう。有名人がやってるから、みんながやってるから、わたしも・・・というタイプです。
新しいことが出来るのは、どのタイプか、
といえば、まあ、明らかなんですが、
以上3タイプの人口分布というか、存在比率を知りたいなあ、と思ったりするわけですね。統計はなさそうなので、
しかたないから、投稿サイトの作品群を見渡してみたらどうかな、と思ったりするわけです。
そうすると、上記3タイプの分布の仕方が、自然と見えてくるような気がします。
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