【petit企画の館】/蝶としゃぼん玉[299]
2017 01/04 02:16
ハァモニィベル

〔文章をすこし補訂しました。1/4 13:00〕
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>>298(作品.by蛾兆さん)投稿有難う御座いました。

ゲームを持ち出してきたところに評価を二分する面がありますが、
テーマに対するひとつの処理の工夫ではあるであろうと思います。



「野望」というのが一つのキーワードとして面白く感じました。辞書によれば、

野望(やぼう): 

  分不相応な望み。また、身の程を知らない大それた野心。

とあります。
また、
「カリスマ」というのもここで一つのキーワードとして興味深く、意味は、

カリスマ(charisma) : 

  1.神からの天与の賜物。神より特別に授けられた才能であり、常人を超える
 資質を指していう。2.信服力

とあります。まあ、もう少しなめらかに、
   衆人が心服するほどの神がった資質と能力
とでもまとめてもよさそうです。

さて、

広く歴史を振り返ってみても、野望家というのは、カリスマを帯びた者をみつける
と、嫉妬し、恐れ、迫害する傾向があったりしますが、
その理由は、上掲の辞書の定義を比較すれば、一見して明らかなようです。




明治九年(1876)に、札幌農学校が設立されますが、そこへやって来た指導者、
ウイリアム・クラークは、例の台詞で有名ですね。
本当にそう言ったのか、幾つかの説があるようですが、その中のひとつが、
馬に乗り手をふりながら言ったという次の別れの言葉です。

Boys, be ambitious like this old man.
(青年諸君、いつも野心的でいたまえ。目の前のこのオジサンのように)


クラークはこのときだいたい五十歳くらいだったようですが、「大志」と訳され
た言葉は、「大望」とか「野心」と訳してもよく、日本語の「野心」という語には
(新しいことに挑戦していこうとする強い意気込み)という意味が含まれています。


カリスマは何歳(いくつ)になっても、野心的であろうとするものらしく、
歴史上のカリスマたちは確かに、皆、そういう歩みを見せているようです。
カリスマだから野心的であるのか、野心的であるからカリスマになるのか、・・・?

わたしなんかは、Boys にも、old man にも入りませんが、けっこう ambitious なんで
それが悩みの種だったりしますが(笑)、ambitiousであることは同時に、周囲を見て
いつも虚しさを覚えることでもあります。ですから、

あのセリフが、発したクラークに注目されるのをよそに、わたしはむしろ、クラークに
あのセリフを言わせた札幌農学校の生徒たちの眼の輝きの方を、想像したりします。



カリスマというのは、何歳(いくつ)になっても野心的であろうとするものなんだな、と
素直に感銘するとともに、

いったい野望家というのは、<大志>の代わりに、何を、抱き続けてるのだろうか
と、率直に疑問を感じたり・・・


・・・などなど、色々考えるところがありました。

最期に、

「資源」と「生産力」
ということですが、

 資源 ―→(   )―→生産力

のような、両者の中間にある機構が考えられるように思いました。
(  )に入るものが、
「カリスマのような大志」なのか、「野望のような戦略」なのかによって歴史も
大きく変わるのかもしれません。

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