2016 10/08 14:58
ハァモニィベル
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石村さんの出された
ディキンソンでの例
>>204 (英語―→日本語での例)
これは、元作品とほぼ並行に走る感じですね。
積極的に意訳を入れていく翻訳として、私は、シャーリー・バッシーの歌と映画007で有名な曲「ゴールドフィンガー」を私訳しましたが、それはけっこう愉しかったです。私にしては、かなり忠実訳ですこの方向は。(参考
http://p.booklog.jp/book/110281/page/2994119)
さらに意訳を強めた方向で、
野口雨情の『ぬばたま』を、私の言う意味での「翻訳」と 一般的にいう意味での「翻訳」と の中間にあるような「私訳=窯変訳」(大胆な意訳)をしたことがあります。このときは、内容の解釈について議論されていたので、わたしの解釈を示したのでした。
(参考
http://p.booklog.jp/book/110281/page/2994124)
ただ、上記のふたつの方向は、元作品の心に忠実に書きました。(外れないように縛られる)
この意味では、原作者に沿う方向ですね。
※
短歌―→自由詩 というリステージは、わたしが、詩を書き始めて二作目に書いた作品がそうでした。ネットの親切な先輩から頂いたアイデアにしたがって、試しに書いてみたのでした。
追いつめられし獣の目と夫の目としばし記憶の中に重なる 中条ふみ子
へのオマージュとして、以下を書きました。
「瞳」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=286697
詩情を汲み取って書いたので、
この方向も、原作に沿っていると言えるでしょう。
※
わたしは、自身の詩情で書きたいタイプなので、忠実は苦痛ですが、だからこそ、そのストレスがやがてかなりのマグマになります。その意味で、忠実訳をする期間もわるくない。田村隆一など翻訳と詩作で精神的循環のバランスが理想的だったんじゃないかと思ったりします。
又わたしは、マグマの抑えられないタイプではないので、放っとくと休火山のようなところがあって、自分を噴火させるのに、触媒が要ります。プチ企画もそうですし、たまに出逢う佳品が触媒になるというのが通常ですね。(ほんとは旅ができたら理想です)
本来はあまり原作に引っ張られたくない。それでも沿って書こうと思えば沿う方向でも書ける。その辺を調整して、最初に方向性を決めることになります。が、その場合も、
原作が良いものなら、沿って書くのも苦にならず、原作がいまいちだと、「書き直」したい感覚が生じ、大抵の作品はただ触媒になるにしてもべつの構想や詩情を誘発するていど、全く無いものも少なくない。という感じです。
よって、対象がどういう作品になるか、によってアプローチの方向が(わたしは)変わってくるので、その辺が気になりました。李賀なら、『ぬばたま』的方向で書く対象ですね。
ハァモニィベル的に、元作品と創作物との関係を整理すると、
忠実意訳
オマージュ
リステージ・リテイスト・パロディ
窯変私訳
パスティーシュ
触媒・インスパイア
という感じでしょうか。
最後の、触媒ということでは、
名画から詩想を得て、勝手な詩をつける画家とのコラボを書いたことがあります。
(参考
http://p.booklog.jp/book/100699/page/2760611#none )
これは、名画とハァモニィベルとのマリアージュです。
※
というわけで、
今回どのチューニングでいったらいいか、
(私としては、どういう対象選択にするか―作品特定でなく、選択範囲―が決まれば自然に決まる気がする)
その辺をご検討よろしくおねがいします。
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詩人の本棚に、対象詩を投げてもらい、それを「意訳」なり「マリアージュ」
する、という設定でも取り組みやすいかも知れません。
(書きにくいと思ったひとは、別の作品を投げればよく、投げられた中から
各人選んで、取り組んでみる。といった感じです)
というのは、例えばの一案です。
*
引き続きよろしくおねがいします。