2016 09/26 10:39
ハァモニィベル
>>184
詩人の本棚へ、竹中郁作品のご紹介ありがとうございました。
竹中郁の詩を、
>夢と現実とが混合しているのではなく化合している
と褒めたのは確か西脇順三郎でした。
挽歌 (竹中 郁)
果物舗の娘が
桃色の息をはきかけては
せつせと鏡をみがいてゐる
澄んだ鏡の中からは
秋が静かに生まれてくる
*
以下、引用で
関連するものを【詩人の本棚】に追加寄贈します。
詩や芸術の鑑賞というのはグルメに似ている、と
私は最近思うのですが、詩人には確かな舌が似合います。
夕方、私たちは下町のユウハイムという古びた独逸菓子屋の、奥まった、大きなストーブに体を温めながら、ほっと一息ついていた(堀辰雄 「旅の絵」)
とある「私たち」とは、堀辰雄と竹中郁のことで、神戸の人だった竹中郁は、このあとも、訪れた吉田健一に神戸のグルメを案内したりしていたようです。
中山手通りのフロインドリーブといふパン屋に行つた。何しろここのパンは旨くて〔…〕バタを付ける必要もない。それで付ければバタまでいい匂いがして一層旨くなり〔…〕
ハムはハムで厚目に切つて置いて、それをおかずにこのパンを齧つたら、大概の御馳走には引けを取らない昼の食事になる。
(吉田健一 「世界の味を持つ神戸」)
パンは一日おきにフロインドリーブへ出かけねばならない〔…〕わたくしの愛好品はフランス流の棒状のパン〔…〕
パンとコーヒーをそろえただけでも、朝の王者のような気になれる
(竹中郁「行きつけの店」)
嗜好もあるでしょうが、鋭い味覚の持ち主どうしは、
どこか一致した「味わい」を堪能できるようです。
私は以下の作品が好きです。
ピアノの少女
少女はピアノを弾く。少女はピアノになる。少女はなくなる。
少女の友達が訪ねてきて。
「あら、この部屋は籬子さんの匂ひがぷんぷんしてゐるわ」と云ふ。
友達の少女はピアノの鍵に触れてみる。
突然、ピアノのうへの花が生きてゐるやうに落ちてきて、友達の少女の裾のあたりを泣いたやうに濡らした。
*
虚しさが一層深くなる秋になりました。
詩の行方
詩よ。おまへはおまへを僕の中へ閉ぢ込めたなり、何処かへ去つてしまつた。僕が苦しまねばならぬのはそのためだ。僕の血管にはおまへが脈を打つてゐる。僕はありありとおまへを間近に感じ乍ら、しかも其処におまへは居ない。
時どき、僕は耐へ切れなくなると、自分で自分の皮膚を引き裂いて、おまへを開放しようとする。
そしてその度ごとに、おまへは〔・・・〕
※以上二つとも竹中作品から。