【petit企画の館】/蝶としゃぼん玉[164]
2016 09/08 19:52
ハァモニィベル

渚鳥さん、石村さん

お題へのチャンレンジ感謝いたします。

>お題を出されて書くというのが非常に苦手です。(>>163

この辺の感覚をめぐって
私も悩むといえば悩むんですが、全く逆の悩みです。

わたし(ベル)の場合は、「お題」なりテーマなり、キッカケを外からもらう方が、
ものが書きやすいんですね。

見るもの、聞くものが、意識(主観)に流れ込むと詩か批評になる性分なので、四六時中
詩人か批評家の状態でいます。(日常生活が凡人でいることを強いる環境で生きているので、
むしろ本来の自分を抑制したモードでいるのが死ぬほど苦痛ですが、仕方ありません)

なので、蓋をとってしまうと、24時間、詩人か批評家になってしまうので、
セイフティがかかってる私が、「お題」とか「テーマ」とかをトリガーにして
作品を瞬間的に発想したり構想したりして、書き上げるという、そんな仕組みをどうやら
持っているみたいです。

谷川俊太郎も、外から何か、キッカケがあるほうが自分は書きやすい、と雑誌で答えてましたが、
私からすると、その方が、自然なのです。

それで何を悩むのかというと、
キッカケが欲しいタイプは、キッカケがないと、とくに何か書こうと思わない、
ということで、普段の抑制モードを解除するキッカケが得られないまま過ごしてしまいます。

注文があれば、いくらでも書けるし、そこから想念をいろいろ発展させていけるけれど、
注文されないと、自分から、これを書いてみよう、という衝動が起こらない。

そして、そのキッカケは、自分で見つけるものではだめで、
面白いことに、自分の外からやってくるものがイイのです。

反応できない注文というのもあって、
お題そのものがオーソドックスなものは、苦手ですね。



お題大好き以外の人というのは、私が見た範囲では、二種類あって、

ひとつは、条件指定を苦手に感じるタイプのひとで、お題に沿おうとし過ぎてしまう人。自分のスタイルをかなり確定しているようなタイプのひとは、そのスタイルで、お題をこなそうとすると変調感を覚えるでしょう。

もうひとつは、「お題」が何であれあまり関係ない人で、そのタイプの人の作品を読むと必ず、
そのお題に即した作品として芯を食うように書かれていない、という印象を覚えるということがあります。


このスレでは、
あんまり、固く考えてないので、ともかく真剣に書いてみるのが何より、という姿勢を最上とします。


「お題」が出た場合のゲームのポイントは、

  作品が、どれだけ、そのお題の芯を食っているか、

という辺りにあります。

それは、遊びに見えて、じつはかなり高度なゲームだと言ってよいでしょう。

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