2016 09/03 19:46
ハァモニィベル
渚鳥さん
>>154「妥協しないこころ」
そういう心はを、大抵の本の書手が持ってますよね、
だから、読む方にもその心がある方がいいだろう、という
その辺りに反応した、そんなにズレてないアンテナだと、(私は)思います。
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石村さん
>>158 (語源的考察)
「よむ」の語源的発想が東西で通じるものがあるというのは面白いですよね。
どうやら、「わかる」と相通じるものがあるようですが、
(読み聞かせる)=〈読んであげる〉=説明する・講義する
といった行為を、潜在的に含意しているのかも知れません。
近代以降は、説明されたものを受け取る(内的に対話する)という意味まで
広がっている、そんな感じでしょうか。
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わたしから
「読む」について、私の考えを更に追加すると、
読者が既に解っている(と思い込んでいた)ことが、読むことで、わからなくなる
ということもあるでしょう。
それを、ソクラテスなら喜ぶ筈ですが、
また、物理学者のように世界を知ろうとする者でも、
解れば解るほど、解らないところが出てくるでしょうから、
(渚さんのいう「こころ」は、そこで真価を発揮することになるのでしょう)
詩の場合でも、
解っている(と思い込んでいた)ことが、詩を読んで、わからなくなる
としたら、そういう詩は、読ませる詩でもあり、読みたい詩でもある、と
思います。
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紙上に書かれた思想は、砂上に残った歩行者の足跡に過ぎない。歩行者のたどった道は見える。
だが歩行者がその途上で何を見たかを知るには、自分の目を用いなければならない。
― ショーペンハウエル ―
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