2016 07/26 02:54
ハァモニィベル
>>969
うーん、「嘘」って、どう捉えてるんです?(そこが不明)
ニュアンスを区別してほしいな。
>作品になっていれば、嘘だろうと本当だろうと、いいのか
これは、かなり粗雑な思考じゃないの?
まず、「作品になっている」という点が、すでに高度に曖昧だしね
そして「嘘」「本当」ね。
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虚構でも、その方が真実が描かれていれば、―→本当の意味で「本当」では。
事実を扱っていても偏見で切り取ったものは、捏造にもなるのでは。
とかとか、色々疑問が出てくるんですけど、大丈夫??
昔の「私小説」の「精神」を肯定してるからそもそも、「嘘」って評言を使うのか、
わたしにはよく解らない話ですね、その感想は。
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昔、「一杯のかけそば」なるお話があったけど知ってるかな。
当初、実話ということで話題になった。ところが、作り話だと露顕して叩かれた。
あれなんかは、感動実話として騒がれたときに、一読して作り話だと私は感じたけど、
世間では話(作品)を鑑賞しただけでは見抜けなかったわけでしょ。
私から見たら、作品になってないレベルだけど、
世間には、(実話なら感動的だ)と、(恰も新仮名ならよいみたいな感覚でもって)通用してたわけだけれど、一体全体
そういうのはどうなの?
鑑識力、鑑定眼 という話になっちゃうんだけど、
渚鳥さんの話だと、その辺りが抜け落ちてるんじゃない???
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ともかく、最も重要だと思う点を最後に補足しておきます。
詩情の「嘘」はダメ
ってことです。作品世界は虚構でも事実でもいいと思いますが、
〈詩情〉は、その作者の本物でないとダメだと思います。
(まあ、詩情不要論者という人達もいるんでしょうから、その立場だと
コトバを捏ねてそれらしき詩情を誂えるわけだろうから、もしそうなら
私のように、自分の詩情を伝えるために言葉を紡ぎ出すのとは正反対ですね)
渚さんの感想だと、
詩情の「嘘」(パクったり誂えた詩情ね)も作品になってりゃいいってことに聞こえちゃいますが、まさか、どう考えてるのか、心配になりました。
まあ、そんなところです。(これ以上論じません)
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