詩ヌマデアイ詩テ[789]
2016 06/20 09:38
るるりら

>>786石村 利勝さんへ

おはようございます。返信が遅れて 申し訳ありません。
「春と修羅」っていう龍みたいな詩魂に飛び乗って縦横無尽に飛び回っているさまだなんて、
それこそ 踊るくらいに嬉しい言葉をいただきました。関係あるかないか解りませんが、わたしは辰年うまれなのです。思い込みからか 蛇だの竜だのといった生き物は こどものころにずいぶん夢にでてきました。

この詩をアップしようとしていた頃に、渚鳥さんが 突然、

渚鳥さんも竜のようなものを感じておられる気がしないでもないのです。>>771 渚鳥さんは まだわたしの詩を御覧になってないのに わたしの詩が読めたのかと思いました。ケーリュケイオンの杖のデザインって、蛇のような竜のような生き物が くんずほぐれつ登っている図なのですが、わたしは 竜みたいなのに つきうごかされて書いただけだったのかもしれないです。
ああ びっくりしあぁ!

どういったらよいかわかりませんが、なんだか すごいです。←わたしがというより、なにかが来てる気がします。
もっと書かねば!




>>745 渚鳥さんへ 今は朝なんだけど こんばんわ(←作品に あわせたよ)
「夢一夜~第三夜」拝読しました。
以前拝見したパーションのもののは、たしか 一夜が三つではなく一夜、二夜、三夜という表記だったように記憶しています。

夏目漱石の『夢十夜』は この機会に再読してみました。
夏目漱石の『夢十夜』の場合は、全然違うお話の十個で作られていたと思うのですが、
渚鳥さんのこの作品は、別々のお話ではないような気がしました。同じ日におきたことが別の角度で描かれているととってもおかしくはないつくりになっていると 感じました。
たとえるなら以前お話しの出たケーリュケイオンの杖は 二匹の生き物がからまっているのですが、この三つの作品は 三つ編みのように 三様の詩魂(石村さんの言い方の真似ですぅ)が からまっていると読んでもおかしくないように おもいました。

へんな発言になるかもしれないのですが、物事を把握するのには三つの目が必要だと聴いたことがあるのを思い出しました。
 それは、【鳥の目】【虫の目】【魚の目】の三つで、鳥というのは鳥のように広く全体を眺める。虫というのは足元の細部を見る。魚の目は、微妙な変化の流れを見るというものなのですが、渚鳥さんの本作品の構造と符合すると、個人的には思いました。



●蛾兆ボルカさんへ 「作品『漢字の練習』」、について(贋作)」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=319538&filter=date&from=menu_d.php%3Fstart%3D150
に、ついて。

わたしは、この作品について「おもしろいです」とだけ書いてます。あとで、ちゃんと書きたいとおもっていたので、超短文感想としました。
まず、自分の作品をパスティーシュする。もうこの時点を おもしろいです。

蛾兆さんが蛾兆さんという未知の詩人の作品をパスティーシュし、
未知の詩人蛾兆とかいう詩人の息子さんの漢字練習帳をパスティーシュ(とも言えると思います)
している。

鶏が先か卵が先かじゃないですけど、
卵が詩を書いたのか!
卵の親が詩が書いたのか。卵の教師が詩を書いたのかもしれない。

卵が詩を書いた!のか
卵の親が詩が書いた!のか。
はたまた教師的ななにものかが詩を書いたのか!
むむむ むむむ!これって 「啐啄同時」なのじゃあないかしらん。卵の中のヒナドリが内側から殻を破ろうとしていて、それを保護する親鳥も外側からつついている。
この詩には複数の愛が からみあっていて、ああ 人が成長するのは、ひとりじゃあないんだなあ。と思いました。

正直もうしまして 作品そのものより
自作の作品をパスティーシュする おわりなき詩作への情熱こそが、私としては とても勉強になりました。ありがとうございます。
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