2016 06/05 22:31
ハァモニィベル
蛾兆ボルカさん
パスティーシュを、ジャンルとして分類してしまうと、二次創作的なものに
なってしまい、書かれたものはどうしても、オリジナルの魅力に劣ることが多い(そこに
挑戦するのでしょうが)ような気がします。性質上、オリジナルの魅力を超えててもマズイわけですから。
私のように、パスティーシュを、作品ジャンルとしてではなく、
創作上の実践技法として実用的な立場で捉えた場合、
オリジナルはただのキッカケであるにすぎず、元の作品から飛躍したものが
いかに書けるか、むしろ、独創性と発想力が問われることになります。
原型を全く感知させないほどならば、もうそれは純創作と言ってよいでしょうが、
敢えてオリジナルの手がかりを(わざと)残すとすれば、その場合は、
多少オマージュの気持ちが込められているか、あるいは、間テクスト性で原典の意味を含
ませたいが為の、教養ある読者へのヒントのつもり、といったことがあるかな、と思いま
す。
また、別の意図として、
私がメビウスリングでスレ建てしている
「前の人の作品を、『自分の詩』に翻訳する」スレッド
における私が書いた実践例はみな、創作技法としてのパスティーシュという立場で書か
れていますが、
其処では、前の作品と後の作品を対照することで、後作品を書いた人の発想力や独創性
が明らかに示されるという狙いがあります。
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私の立場(発想力と独創性を重視する)だと、
たとえば、
デュシャンの『泉』―→ これは泉である
に対して、
マグリットの『これはパイプではない』
に至るほど捻ってこそパスティーシュと言えるわけです。
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