2016 05/06 19:14
ハァモニィベル
最早、追記になりそうですが、
私の「深層的人間」説は(もし展開していたなら)序章であって
本論は、こどもの作文を内外に種々取り上げながら、
倫理というものの本質、こどもから大人への表層的転換がいつ行われるか、
といったことを述べて、最終的には、
創作・特に、ユーモア作品・風刺作品におけるきわめて有効な技法というものを
(こども論)の視点から明らかにするつもりでした。
ですが、それは、読解力のある場所でないと書いても虚しいでしょ。
読解力のない場所に書くというのは虚しいものです。
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メビウスの勉強会では、それなりに議論が進んだわけですが、
それは蛾兆さんの合いの手のお陰です。
自分の意見が批判されても、相手の意見を吟味した上で、さほど的を外さずに素直に認めたり、相手に敬意を払えるという人は、 私の経験では、ネットでは蛾兆さんだけです。
最近では澤さんにもそうした姿勢を感じていますが、蛾兆さんの方が流れに対する配慮がありますね。
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反対に、愚かな人、
ものごとを明確に把握しようという習慣のない人間は、ともすれば
醜い反応をしてくるもので
Bタイプは、塀の上から罵倒する。
Aタイプは、話を混ぜっ返すか、焦点をズラす。
いずれも、何か明らかにしたくない、自覚したくない因子をお持ちなのかもしれない。
少なくとも、無知と無恥を混同している輩です。
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この公園が、痴的でも恥的でもなく、
知的遊戯の場になることを期待して
余計なことを最後に少々述べています。