詩ヌマデアイ詩テ[351]
2016 04/11 11:06
るるりら

くまさん
       まどみちお


はるがきて めがさめて 

くまさん ぼんやり かんがえた  

さいているのは たんぽぽだが  

ええと  ぼくは  

だれだっけ   だれだっけ 

                              

はるがきて めがさめて  

くまさん ぼんやり かわに きた 

みずに うつった いいかお みて 

そうだ ぼくは くまだった  

よかったな



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おはようございます。日曜日はゆっくり ねむることができまして
朝起きると同時にあたまに浮かんだのが、この まどみちおの「くまさん」という作品でした。
そうだ わたしは わたしだった/よかったな。という素直な おもいで居ます。

さて、[341]でベルさんが引用してくださっている ワタシの文章ですが、
●――――――――――――〔引用開始〕
大人は子供より人間社会で生きてゆく上での情報が多いだけだと言いましたが、人は或る程度情報を得ると 自身の器に似合った情報量を超えると、情報をこんどは自身の中に取り込むことを止めてしまいます。情報が飽和状態になったら 受け入れることができなくなる。
――――――――――――●〔引用終了〕

これって、子ども論であるかもしれませんが、裏を返せば 老人論とも言えていて、
例えば 神経衰弱というトランプゲームがあります。全部のトランプカードを裏向きにして散りばめたカードの中からカードを2枚めくり、その2枚が同じ数字だったら取ることができる。 場にカードがなくなった時、自分の記憶力だけが頼りのゲですが、

あのゲームを子供の頃 大人たちをやると、子どものほうが強かったのですが、それは
大人が失った能力を子供がもっている一例だと思うんです。

おそらく、子どもは 様々な感覚器官を総動員して 世界を捉えていて 脳に蓄える。
大人は 蓄積された様々なルーティーン(法則)で整理したものを入出力しながら世界を捉える訓練がさんざん されてきた。そのために一瞬で世の中のすべてを脳に蓄えることは むずかしくなってくると思います。だから神経衰弱ゲームに大人は子どもに勝つのが難しい。
臆病な草食動物が音や匂いや敵や餌や味方の位置を一瞬にとらえ瞬時に反応する能力があるように、人のこどもが 世の中をつかんでいる方法も、全感覚と伴に或る。

カイトさんが、女子参加者に「なんの花が好き?」と聞いておられて、ほかの女性軍に対して羨ましいなあと内心思っていました。テヘ。
わたしの心がテレパシィでとどいたのかカイトさんは ワタシにもメールできいてくれたんですよ。「なんの花が好き?」 わたしは「レンゲ」と答えた。
そのとき たまたまごく最近に実体験で蓮華の匂いを実際に嗅ぐ機会があったのですが、こどものころをおもいだしました。こどもの頃って ひとつの言葉を使うにも 脳内で全感覚の再生が行われていた気がします。匂い、色、音 それらが渾然となっていた気がするのですが、大人は様々な事象をより細分化して言葉を使うことが良しとされています。

そして子供じみた物言いの人に対して 「おまえは まだ お花畑にいるのだろう」と 揶揄することもありますが、それって お花畑の状況と自身の心身の在り様を融合できる心持ちを持てるのが子どもだと知っていて、羨ましいのではないでしょうか?

★カイトさんへ
これ以上さんほどの精一杯の賛辞を ありがとう。表に出した作品と それからラップも気に入ってもらえてうれしい。
父としてのカイトさん論 いいなあと 思ったよ。




一時間目は理科
二時間目は音楽、
三さん時間目は国語、
四時間目は道徳

それから、給食。

プチ企画として、一連目は理科要素 二連目は音楽的要素 三連目は国語的要素
四連目は道徳的要素を入れるというルールで
詩がつくれないかなあ。
こんな場所もあるし、いま活用されてないみたいhttp://po-m.com/forum/cb_a.htm
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