感想スレ[79]
12/31 04:06
白糸雅樹

 さて、眠れぬままに佐々さんに連続コメ。書評「テクスチャル・ハラスメント」を読んで思ったこと。先日私は、医者に「どんな本を読んでいるの?」と訊かれて答え、「女性ばかりね」と指摘された。ちなみに、あげたのは江国香織、川上弘美、吉本ばなな、栗本薫、新井素子。いや、男性の作品だって読んでいないわけではない。村上春樹だって、阿刀田高だって読んでいる。しかし、全作品ではない。ほぼ網羅したといえるのは、芥川竜之介、久米正雄、中島敦、夏目漱石といったところか。ここで顕著な特徴があらわれる。好きな女性作家は圧倒的に現代の、同時代の作家が多いのだ。しかもそれを読んだのは殆どが思春期を過ぎてからである。高校時代まで、私はこれらの作家を殆ど読んでいなかった。人格形成期にモデル・ケースにしたのは、圧倒的に男性作家であり、男権主義的な考え方に疑義を差し挟むことがなかったのだ。吉行淳之介と開高健の対談に共感して赤線復活論に賛成し、ハインラインにセックス・モラルを形成され、立原正秋にかっこよさを感じていた。十代の私は、理想の自分は蛮カラだった。オンナノコが蛮カラを気取っても、できあがるのはオバタリアンに過ぎないということに気づいたのは、迂闊にも二十代も後半になってからだった。
 勿論、これは、単に「私がそうだった」ということに過ぎないのかもしれない。しかし、本当にそうだろうか? ある年代よりも上の世代は、やはり、圧倒的多数の「男性の作り出した世界」にどっぷりつかって育ったのではないだろうか? その世界に、自分とはそぐわないものを感じるのが、早いか遅いかの違いだけではないだろうか?
 勿論、女性がモデルにするべきなのが女性だけだと主張する気はないし、実際、私は自分が今でもけっこう好きだ。また、女性作家の台頭が男性作家より遅いというのも、おおまかにいってにすぎず、与謝野晶子と与謝野鉄幹では、私は晶子の作品を先に読んだ。しかしそれでも、ある時代までは、佐々さんの指摘にあるように、女性作家の作品は人目に触れることが少なく過ぎ、それが時代のモデルを形成していたのではないかという念に駆られる。
 今、十代、ニ十代前半の人はどうなのだろうか?
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