05/07 10:35
ワタナbシンゴ
山田さんの書かれた「ご挨拶かたがたルールの確認。」を冷静に読んでみると
そもそもたもつさんが感じた不信感や
>>194や
>>199で述べられていることはまっとうなことだと思います。
ぼくは個人的に、山田さんの批評は、見解の差異はあれども信頼して読んでいる立場なので、
やってしまえば、きちんと届くと思っているのですが、
ちょっとルール確認の文章は、力が入りすぎたのか、
客観的に見て、否定的に受け取られても仕方がないなとも思いました。
>山田が担うということで立てることを許可されております。
これはスレッドを立てたからにはわざわざ書かなくてもいいし
山田さんにその意図がなくとも、可能性として、
山田さんのスレは特別なんだ、主催者との間に何かあるんだ、
という、へんな権力的な匂を受け取られることはあると思います。
書き方をもう少し丁寧に伝えなおしてみてはどうでしょう?
>山田の批評に関する異論反論、あるいは新規の批評の投稿は、直接このスレッドに書きこまず、できれば私信、あるいは山田へのメールというかたちでお送りください。
ぼくもこの点が一番問題だと思っていて
たとえば、自らに対する共感や批判意見の掲載を、
自らの判断によってのみ決定するような可能性を持つシステムは
やはり信用されないんじゃないかと思うんです。
もちろん、
>>184で山田さんの言われるようなことは可能ですが
なにか、自分を守ることに慎重になっているというか。
信頼関係がなければ、有効な言葉のやり取りは成り立ちにくい。
だから、最大限そのことを踏まえて言葉を発したほうが、早いと思うのです。
このルールは、たもつさんが
>>188で言っているように
山田をとにかく信頼しろ、以外にこのルールを信じる根拠が見えない。
敏感な立場に立てば、ひとつの公共であるはずの場において(現代詩フォーラム内の山田さんのスレ)
たとえば、自らの言論の自由を、スレッドの主催者である山田さんに管理された形で、自らの作品を論じられる、
このことを暴力だと感じるひとがいる可能性も想ったうえで、
それでもこの方法をとるほうが有効ならば、その理由を説明したほうがいいと思います。
やはり山田さんを知らない人にもきちんと
山田さんの意図が正確に伝わる説明責任を果たしたほうが
ぼくはスレを機能的に運営できると思うし、
現代詩フォーラムにとってもいいと思っています。
たぶん批評に関するやり取りを自由にスレッド上でやると、
核心よりも、多くの徒労を伴う議論が予想されます。
枝分かれタイプの掲示板だと、もっとわかりやすいと思うのですが
一気にいろんな人が書き込むと、焦点はどんどんずれていくでしょう。
けれど、それでもぼくはそうすべきだと思います。
自らの発言に対する発言を、自ら選別するような構造にするよりは
たとえ負担が大きくとも、自由に書き込めるようにしたほうが
場の信頼性は得られると思います。
きちんと情報公開して、発言を峻別する眼は、パブリックな力に任せるのが一番健康です。
とはいえ、ぼくは山田さんの批評スレを楽しみにしています。
みなさんを相手にしてこそ成り立つ批評ですから、
山田さんにとって一番いい形でスタートされることを願っています。