05/06 19:23
片野晃司
スレッドを管理者以外の人が立てられる仕組みを作った時点で、管理者には、そのスレッドを削除するか削除しないかの判断に迫られます。そのとき、もし削除するとしたら、充分に説得力のある理由を説明しなければならないのですが、今回のスレは、削除するとしたら説得力のある説明は僕にはできない。リアルタイム会議室で山田さんに相談された時、正直言って、困った、と思った。このスレがきっかけでフォーラムを辞める人も出てくるだろうと思った。別に、会員数が減ろうと増えようと収入にならないが、会員が減るのは寂しい。「会員が減りそうだからそんなスレは立てないでくれ」なんていうのは説得力のある説明ではない。だからそんな説得はしない。
個人的には、私信で受け付け、という方式よりは、もっとオープンにしたほうがいろんな禍根がのこらないんじゃないかなと思うし、たしかリアルタイム会議室でもそう言ったと思う。でも、どんなスレを立てるかは僕が決めることではないし、もし僕が全て決めるんだったら、会員がスレを立てられる仕組みの意味がない。
批評に関しては、作者と読者の距離のなさがネット上の詩の場の特徴であり、そのことが批評での表現を抑制していると思う。目の前にいる人には角の立つことは言わないのが人間関係をうまくやっていくコツだけど、こういう作者と読者が密着している場で、そのコツがわからない人が距離感もわからずにザックリと思いやりもなく、しかも説得力のない批評をやってしまうと、ただ傷つけるだけで何も生み出さないことにもなる。だから、ほとんどの人はネガティブな批評はしない。それは、いわゆる「ネット詩をネット詩たらしめている何か」とつながっていると思う。ネットだからネガティブな批評は駄目、なんていうのはネットならでは甘えと受け取られかねない。
読者は読めば何か言いたくなるものだ。批評のそもそもの衝動はそこからくるので、作者の側が自作の批評を禁止するなんていうのは、「読め、しかし感じるな」と言っていることと同じくらい乱暴な話だとおもう。だから、「批評禁止マーク」みたいなシステムを導入することは僕はしない。でも、批評に値するものではないと自覚していても書かずにはいられない衝動はあるものだし、そういう作品に対しては「未詩・独白」というカテゴリを用意している。
批評は批評というカテゴリでじっくり書いてもらいたいけれども、いろいろやってみることもいいだろうし、やる気のあるのを押さえつけたくもない。山田さんが立てるスレなので、山田さんがもしそのことでめちゃくちゃ嫌われてもそれは本人のせいだ。嫌気がさして辞めていく会員がいても僕には止めようがない。