03/31 14:00
佐々宝砂
こんにちは佐々宝砂です。露見草さんのご意見(
>>126のほう)、とっても当然のことと思います。でもなんつーか、クローバーさんのご意見は、ずいぶんまともな意見なんではないですか。クローバーさんはいろいろ考えてしまって「おやすみ」と言えなかったひとなのですから。
私にとって「☆95ツバキ」はそれなりに気になり目にとまった作品でしたが、コメントを付けず、ポイントも入れませんでした。詩の出来不出来ではなく、私の好みでなかったことが最大の理由です。椿は確かにクローバーさんや貴水さんご本人が書いてらっしゃるように、いささか不吉な意味を持つ花です(もちろん綺麗な花ですけどね)。あれがたとえば椿ではなくて、水仙(意味はナルシス)や薔薇(色によって違うけどだいたいの意味は愛)だったら、ずいぶんと詩の雰囲気や意味がかわってきます。むしろ水仙だったりしたら、私はポイントをいれたかもしれません。水仙だったら、ある意味私の好きなタイプの詩になったでしょうから。
それよりも気になったのは、ふつーに「おやすみ」と書いているコメントが多かったことなのでした。うーん。みんななんて素直というか、優しいというか、いいひとたちというか、なんというか。「おやすみといってくれ」という詩なんですから「おやすみ」と返すのは当然といえば当然ですが。「おやすみ」と素直に返した方々は、たとえ花が水仙であっても、薔薇であっても、あまり関係なく「おやすみ」と返事をしたのではないかしらと考えてしまうのです。そうじゃなければいいなと思うのですが、もしそうなのだとしたら、作者が「椿」という花にこめた思いは伝わったのかどうなのか。この詩のなかで椿の存在はとても重要です。「おやすみをいってくれ」だけにメッセージ性があるわけではない。詩というのはそういう読み方をするもの、行間に隠れたものを読むものだと、私は思うのです。……といって、別段、詩の感想に命まで賭ける必要はないでしょ。露見草さんが命がけでやるのは立派だけれど、他の人々にまでそれを強いる必要はないです。
さらに付け加えていうと、「☆95ツバキ」という詩に、茶の湯のわびさびや椿姫まで連想するのは行き過ぎというかこの詩にそぐわないと思います。だって詩の作者がそういうことまでは示唆しておりません。また、ゆりかごを知らないということは、世代の相違というより知識の有無の問題です。若くたって知ってる人は知っていましょう。ねえ、露見草さん、作者の資質を考慮しつつ読むこともまた重要なはずです。