2014 09/15 23:31
ゴースト(無月野青馬)
最果タヒ/死んでしまう系のぼくらに
現在、只今を生きる僕達に出来る試み。
その内の1つは、
僕達の生きる現実世界と、
別の(例えば空想の)世界とを比較してみることだ。
例えば、
最果タヒの最新詩集『死んでしまう系のぼくらに』の世界を、現在、只今と対置してみる。
すると、どうだろう。
読者の目には、
何が映るだろう。
読者には、
正に、文字通り、
死んでしまう系と死んだ系という2つの星雲が見えて来ないだろうか。
この地上で起きた、報じられたすべての死んだモノが死んだ系には属している。
死んだ系の中心部は暗黒の口を持つブラック・ホールなのかもしれない。
反対に、
この地上で起きなかった、報じられなかったすべての死ななかったモノが死んでしまう系に属している。
ただ、その中心部を、対義としての、ホワイト・ホールだとは呼べないのではないかと思う。
ことはそう簡単ではない。のである。
世界とは何だろう?
人の存在とは何だろう?
繋がりとは何だろう?
他者とは何だろうか?
それを、
細心の、最深の、最小の言葉で、
表現してくれている作品。
それが、最果タヒの『死んでしまう系のぼくらに』という詩集だと考えられる。
更に、
広い観点から考えると、
現実の世界とは別に、
1つ、
死んでしまう系に対置したい世界が見えて来る。
それは、吉野弘の詩の世界だ。
吉野弘も最果タヒと同じようような視点から、世界を映していたと思われる詩人だからである。
吉野弘も、
死と死なざるの2つの星雲を、認識していた。
その違いを描き出していた。
違いの生み出す哀切を知っていた。
あらゆる物事の違いを見極め、
違いの箇所を言い当て、物事を正当な場所に当て嵌めていた。
吉野弘とはそんな詩人だった。
『死んでしまう系のぼくらに』という詩集もまた、
現在、只今の、現実世界の中の、人間を取り巻く違いを、見極め、
その違いを言い当て、
正しい場所へと導くような詩集になっているように思う。
それは、
現在、只今の、現実の世界にあって、
圧倒的に優しい、
優しい眼差しであると感じられる。
死んだ系と死んでしまう系の2つの星雲の引力に引き裂かれそうな、
人の心を、
生へと(死んでしまう系へと)導き、
その、震え怯える、人の欠損を、
言葉によって埋めようとする。
そんな優しさを、
この詩集からは感じるのだ。
人と呼応する詩集だと感じた。
(いずれ続きを記したいと考えています)