バトル・リング[63]
2005 01/14 05:26
佐々宝砂

んー。書くべきものが書けんとわかったので、ここでなんか書いて朝まで時間潰す。

続き>ダーザインさん
わかりやすいケンカの売り方だけど、不老さんが言うように「誰かが食いついてきそうなテキトーな言葉を吐いてただケンカを売りたいだけなのか、それとも本当に知能がどうとか思っているのかわからない」のが問題です。つっこみどころだらけなので、どこからつっこんでいいか悩みます。いちいち反証すべきでしょうか? すべきかもしれませんね、ここはそういう場所です。

>>59
>己とは感性の違うそれぞれの書き手の実存様態を洞察し、その上で、
>自らの方法論とは異なる道を行く書き手各自の”唯一の道”を
>美しく花開かせる為の些細なアドバイスをしよう、
>それができるのが、
>「文学極道」発起人に名を連ねている洞察者たちである。

自ら「三流」と称し、何年も前からポエムを擁護し、「クソにはクソとしての存在価値がある」と言い、長年キッチュとキャンプの狭間で悩んでいる私に対し、「文学極道」発起人の洞察深い面々は、きちんとしたアドバイスをくださるのでしょうか? キッチュ戦略をしている私に「クソみたいなポエム」という批判や「ありきたりなイメージの積み重ね」という批判は無意味なのですが? そもそも私は芸術あるいはハイ・アートをつくろうとしてはおりません。私がつくりたいものは、大衆に迎合しきった何かです。芸術をめざす「文学極道」は、私と全く違う場所をめざしており、それはそれでかまいませんが、私にはゲージュツなんておよびじゃないのであります。

>書き手の自覚を慮ることが第一義だなんて当り前じゃないか。
>だがその当り前のことが出来ないのが、今のぬるい詩会だろう?
>そもそも「自覚」とはなんだ?何を「自覚」するのだ?
>自らの存在様態を実存的に自覚することと「作品」の質はまったく=ではない。

素朴な疑問で失礼とは思いますが、「詩会」ってなんですか……

ポエニクの詩会だとしたら、ここで批判するのはお門違いです。ご立派な「文学極道」発起人の一人に対してご批判ください。あるいは、「詩界」の意味で書いたのだとしたら、まぬけな誤変換です。で、「自覚」とは何かということには、一応の応答がすでに書いてあるはず。「応答責任」を持つ自覚・覚悟です。存在様態なんぞ、少なくとも私は問題にしてません。作品の質のことすら問題にしてません。「応答責任」を背負い切れない弱い他者が、実は天才である可能性も打ち消していません。

>「作品」はあくまでも「作品」であり、対人関係などという事とは無関係だという貴女の見解なもっともだと思う。
 
私はそんなこと書いてません。作者と作品は切り離して考えるべきだと思ってますが、それと対人関係はまた別な話です。私との関わりを拒む作者がいる場合、私はその人の詩を批評することができません。内心「これひでーなー」とか「これはまあまあか」とか考えることはできますが、本人には言えませんし、ウェブのどこかに書くというわけにもいきません。作品はあくまで作品であって作者とは別ですけど、作品に対する作者の愛着が強すぎる場合や、作者が極端に弱っちい性格である場合には、批評ひとつ書くにもたいへん神経を使わねばなりません。こっち(ひひょーする側)がいくら作者と作品を切り離して考えても、作者が作品とべったりくっついてる場合は、作者が生きている限り(または作者の考えがかわらない限り)、こちとら常に対人関係を気にしてなきゃならんのです。ああめんどくさ。とはいえ、作者が死んでも作品は(場合によって)残りますから、やっぱり、作者と作品は別物です。無関係じゃありませんが、別物です。ばりばりに関係ありますが、別物です。

人の文章はよく読みましょうね、ダーザインさん。それと、私は、呼び捨てする人が嫌いです。「くん」でも「ちゃん」でも「氏」でも何でもいいですから、名前になんかつけなさい。
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