2005 01/22 13:13
山田せばすちゃん
Ohatuさん。
あなたの書き込みを見てて俺は連合赤軍事件を想起しました。
あの事件の本質は「革命戦士」という言葉の概念に憑かれた地点から、現状の自己像、他者像を照射し返した時の乖離を暴力で埋めようとした点にあります。それを概念自体に過ちがあったとか、乖離を埋める方法に暴力を用いたのが過ちであったとかいう反省で片付けてはなりません。問題は、観念に憑かれること、それ自体にあるのです。暴力は観念に必ずついて回るものでしかありません。
話をもう少し今の問題にひきつけましょう。
あなたは俺の所業が「篭城」の言葉にふさわしくない、といい、ふさわしい篭城をするのか、篭城という言葉自体を放棄するかの二者択一を俺に迫っていらっしゃる。
ではあなたのいうふさわしい篭城とは何か、生活も何もかも捨ててパソコンの前に座り続けること、寝る間も惜しんでいとうくんの発言を待ってリロードを繰り返すこと・・・それが「篭城」の言葉にふさわしいのだ、とあなたはおっしゃる。
その結果として俺に待っているものは破滅しかないわけですが、あなたは私に破滅しろ、とそうおっしゃりたいのですか?
破滅の道を選ぶか、篭城を放棄するかはっきりしろ、と。
篭城は破滅のためにするものではありません。
>>207で宣言したとおり、「跳ねるか」「立てこもるか」の二者選択で俺は「立てこもる」を選択したのです。「跳ねる」=テロ行為の結末は自身の破滅ですから、俺は「立てこもる」を選択した以上破滅するわけにはいかないのです。
「跳ねる」に対する「立てこもる」すなわち「篭城」の本質は持続です。やりつづけることです。
俺は吹けば飛ぶような零細会社を経営しておりますが、俺が仕事をしないことには金はどこからも入ってきません。金が入ってこないことにはネットの通信料金も払うことができません、仕事の合間には携帯でなるべくここをチェックし、緊急を要する書き込みが必要と判断した場合には携帯からも書き込んでますが、そのパケ代も払わなくてはなりません。収入を確保しなければ、ここで待ち続けるという目的すら果たすことはできません。
睡眠をとり、食事をし、家族の面倒も見ないことには俺はここで安定した身体の状態と精神状態でもっていとうくんを待つこともできませんから、飯も食います、寝ます、家族の面倒も見ます。すべて、「やり続ける」ために必要なことです。
ところで、俺がここで破滅して、二度とネットにつなげない状況に陥ること、つまりはネット的に死んだ、といってもいい状況になったときに喜ぶのは誰ですか?追及を免れるいとうくんに決まってるじゃないですか。どうして結果的にいとうくんを利するようなことばかりあなたは俺に提案するのでしょう?(苦笑)
それとも俺がOhatuさんの観念に殉じた形で破滅したら、誰かが遺志を継いでいとうくんを追求してくれるんですか?Ohatuさん、お願いしてもいいですか?まあ、お願いして、仮にあなたがやります、といってくれたところで、その時点から俺にはその後の検証手段がなくなってるわけですから、そんなことはお願いしやしませんけどね。
概念に憑かれて自壊することを、俺は想像力とは言いません。
そんなもんで書かれた作品には一顧だにする価値はないと思います。