雑談スレッド6軒目[857]
2008 05/27 08:31
田代深子

 わたしが「作品に対する作者の責任」というのは、たとえば見知らぬ誰かによって「あなたの作品によって私の人権が傷つけられた」「私の著作権を侵害した」と公に訴えられる可能性をも覚悟し、作品がそのようなものにならぬよう配慮するか、そのようなものであっても書くべき・書きうると意識したうえで発表する、ということです。それには当然、必要ならば自らの実名や立場・所在を公に明らかにする覚悟も含まれます。責任であり、かつ書くものとしての自尊心とも言い得るでしょう。

 「自己責任」というのは訴訟などで線引きされるものかもしれません。「あなたの作品によって私の人権・財産に損害があった」と言われたとき、「自分にそんな意図はなく、そちらの自己責任にあたる」と反論するとする。そこでどちらにより多くの「責任」が問われるかは、状況によるでしょう。
 例えばあるサイトで細かな免責事項が標榜されており、それでも実際ユーザーに損害があったと訴えのある場合。そのサイト運営者にプロバイダや警察などから何度か改善要求が出され、それでも運営者が改善せず、さらに大きな問題が起きれば、それはユーザーの自己責任ではなく、運営者の刑事責任・賠償責任と判断されるかもしれません。そこで適用されるのは「インターネットのお約束」ではなく、一般的な法律や倫理の秤でしょう。免責事項を表記しておけば許されるというものでは、必ずしもない。

 そして、いまわたしが書いていることのすべては、「作者(発表者)」「読者」いずれもが、仮名であれ特定の人格として存在することを、おのおのが認識できる状況から始まります。このフォーラムはユーザーのIPアドレスが確認されていますから、問題が起きたときに公の機関が介入すれば、そこから実名を割り出すことは不可能ではないでしょう。作者名を非表示にしたところで、いやでも「作者の責任」を問われる可能性はあるのです。そしてそのときは「読者」も公の存在として、責任を明らかにすることになるでしょう。

 しかし「作者の責任」とは、そんなに否定的に考えるようなものなのでしょうか。先にも書きましたが、わたしは作者が作品に責任を持つ、というのは、書くものとしての自尊心ではないかと思うのです。自分の作品に愛情をもっているということ、自分の作品をほかの人に読んでもらいたいということ、何か感動を受けてほしいが、よくないと感じたらちゃんと自分に言ってほしいと思うこと。そういう気持ちの表明として、作者名を明らかにする。それだけのことなのですが。
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