2005 10/27 18:30
佐々宝砂
猫続き。sage
猫を避けようとするくらいだから、園児の列に突っ込んだ運転手は、ごく普通のやさしいひとなのだろうと思う。そのような人でも加害者になりうる。残虐性ゆえにではなく、やさしさゆえに、加害者になることがありうる。私ももちろん、加害者になりうる。私は誤る。自らの間違いっぷりを自覚しているとしても、自覚そのものは免罪符にならない。自覚がないことも免罪符にはならない。そもそも免罪符など存在しない。
行動すると何かを傷つけ、行動しないでいることは何かを見捨てることで、つまりいずれにせよ私は罪を免れ得ない。とすれば私は罪を抱えて生きる他あるまい。言っておくが、ああ、こんなこと言いたくもないんだが、ここで言う「罪」というコトバとキリスト教は特に関係ない。
いよいよ誤解を招きそうで頭痛がしてきたが、きっと考えすぎなんだろう。火にかけた鍋から、肉じゃがの匂いが漂ってくる。あまり認めたくないが私は主婦で、認めるも認めないもなく今夜の夕飯は肉じゃがで、私は肉じゃがが大好きで、私は幸せですらある。