2005 10/27 16:28
佐々宝砂
夕顔さんの話と全然関係ない話ですがすみません。強いて言えば廃人部屋から続いています。
私とは真っ向から対立する考えの持ち主なんだろうな、と思う相手に、何を言うべきか、それとも何も言わないでいるべきか、どうしたもんだろうなと思いつつ何も言わないでいることが多くなった。大人の考えはそう簡単に変化するものではないし、違う考えを持っている人間なんてたくさんいるものだし、それでそう困るというわけでもない。みんな同じ考えでは不気味だし、他人に自分の考えを強要したらそれこそファッショだ。
しかしそう考え続けることは自分を生殺しにしてゆくことと似ていて、私はときどき自己主張は悪であるとすら考えそうになる。私以外の人間は、私とは違う考えを持っているのだから、彼等は自己主張を悪だと思う必要はない。自己主張はすばらしい、と思っていてよい。すばらしいと思うことを実践するのは、私の考えにおいてもすばらしいことだ。自己主張ばんざい。それが、私でない人間の自己主張である場合には、だが。
私の自己主張は、実にしばしば、他者の考えを侵害する。相手に全然影響を与えないでいるということは無理だ。また、矛盾するようだが、私は他者に影響を与えたがっている。私は他者を変えたいのだ。私の流儀に変えたいのではなく、私によって変化してゆく(その変化は必ずしも私に好ましいものであるとは限らない)他者に出会いたいのだ。その他者によって変化してゆく自分に出会いたくもあるのだ。
と書いてきて、そらおそろしいことに気付く。おそろしいから今は書かない。
私と関わることによって不可逆的な変化を被っても後悔しない人だけが、
私の文章を読んでくれたらいいのになと夢想するが、夢想は、夢想だ。