2015 03/15 14:25
深水遊脚
愛着がわいてずっと使うものは限られてきます。この作家がいまどんなものを作っているだろう、ふと思ったときに手に入るかどうか。手に入れば幸運だしその再会は嬉しいものです。買う方も買い叩くことなく、時の流れを共有するくらいの気持ちでいたほうが、手にしたものに対する理解、そして愛着が違ってきます。作り手の技も、それを理解してくれる使い手があってこそ生かされるものです。作るプロセスも知って、価格に意味があることも知って、無理のない範囲でいいものを求めるのは大事なのかもしれません。
いま飲んでいるコーヒーを思いながらこれを書いています。安くて美味しい豆も探せばあるのでしょう。でも馴染みのロースターの顔を思い浮かべて飲むのは至福の時。同じ産地、同じ農園でも、あの人に焙煎して欲しい。微妙な味の違いはあの人の焙煎した豆で知る。そんなロースターがいます。いやこれ、ひとつ間違うと危ないのですが。この場合思慕の対象は人の技であって、人そのものではありません。少し客観的に突き放すことも必要で、技の部分に納得行かないものがでてきたり、その水準に満足できなくなったら、自然に離れて行くのかもしれません。真剣に味わうのは大事なことです。
(今日のツイートを編集して投稿しました。3回ルール解除のための合いの手です。引き続きお楽しみください。)