04/25 22:50
はなもとあお
奥主さん、丁寧な返信ありがとうございます。
中川さん、はじめまして。
昨日返信を考えて、文章をまとめていたのですが、ちょっと何かが足りない気がして、いちにち考えるともなく考えていました。
怖れや暴力的側面については、奥主さんが分かりやすく説明してくださっているので、概ね、共感です。
付け加えるとするなら、詩はひとつの主張ととらえることで、そこにコミュニケーション性をつないでしまうと、簡単に言えば、賛成反対というか敵と味方をつくるものになりえる、という事でしょうか。
奥主さんの、作品を上手く仕上げたということがごまかして嘘をついているようなもの、というのと、思考・思想とのつながりについて知りたいと思い、図書館に行って、吉本隆明さんの「思想とはなにか」という本を読みはじめたところです。
中川さんがお話されていた、詩は楽しむものか、勉強するものかは、わたしも考えました。
詩はコミュニケーションではない、というのは誰の言葉だったか忘れましたが、詩はコミュニケーションではなく、思考・思想だと思うのです。
だから、「思想とはなにか」の項目にも、詩歌についての記述がなされているのだと思います。
思想を持って詩を書く、というと、ちょっとやはり楽しむからは外れてしまうのかな、と思ったりします。
でも、楽しいからいいんだ、という側面からだけで書かれてしまう、というところに、わたしは暴力性を感じてしまうのだと思っています。
自分が書いていることに、背景をつけていくと、勉強したり歴史を調べたり、に、個人的にはなっていってしまうのですが、それ以前の無意識の期間の、昔カテゴリとしてあった未詩・独白のような、自分を消さない書き方のデトックス効果は詩を楽しむ時期として、有ってもいいのかな、と思います。
詩を誰のために書くのか、何のために書くのか、というのも、思想や暴力性とつながりそうです。
なにかひとつの主張をすれば、そこに良し悪しというか、賛成反対はうまれる訳で、それを越えるのに、芸術性があるのかな、とも思ったりします。
とりあえず、いま言えそうなことはこれくらい、かな。