2012 05/11 18:26
深水遊脚
散文で済むものは散文で書こう、という考えなのでなかなか自由詩を書くことに前向きになりにくい私ですが、ここ1年くらい少しずつ書けてきました。「かなしみ」「塔」はかなり散文に近いですが。それでも私なりに言葉の間合いのようなものには納得して、詩作品として世に出しているつもりではいます。
私が気づかっているのは、ひらがなを多く含ませて柔らかさを出したり、あるいは逆に漢字を使うことで引き締まった印象を出したりする効果です。ある意味、リズムかもしれませんが、視覚的に詩を眺めないと成立しないものです。
他には、あまり意識してこなかったのですが、自分の作品を読み返すと体言止めを多用しているようです。言葉を少なくしようとする引き算みたいな詩作をするので、述語で余計なことをがちゃがちゃ書きたくなくて、そうなっているのかもしれません。
送電鉄塔を詩にするくらいですから、あまり美は追求していません。音においてもそうです。逆に不快なノイズと同じ効果を出す詩行を追求するというスタンスもありかな、と思います。このサイトがイージーな美で溢れているような状況ならそういう挑戦もありですね。みたところ、実はかなり多くの方がノイズ的な方向を模索しているようですが。
# そんなわけで「声に出すか」と問われれば「気が向いたらね」と答えます。でも結果として声に出して読んでもいいな、という作品になっていますが。私がこれまでここに投稿した自由詩は声に出してもいけてる♪と自分では思っています。リーディングでやってもいいですよん♪
20120513 追記
いうほど体言止めをつかっていなかったので訂正。短歌や俳句みたいな感覚で言葉を探ることが多いので、世に出していないネタ帳にそれが多いんです。ノイズを感じる詩を今日ポイントしたなかからひとつ紹介。魚屋スイソさんの「まがいものの温度」