2012 08/16 09:43
佐々宝砂
肯定と否定の二項対立は単純すぎると思うんだ。
私はコーヒーが好きでその味も香りも大々的に肯定するけれども、
映画「おいしいコーヒーの真実」などみるとコーヒーのすべてを肯定するわけには行かなくなり、
かといってフェアトレードコーヒー飲んで安穏としてるやつは否定したい。
というかマックスコーヒーは甘すぎて飲めないので私的には否定だ!
という感じに世の中はややこしいと思うです。
極端な自己否定は鬱病まっしぐらですので成長も何もなくなり停滞します。
極端に他者を否定しまくるとそれはそれで何か病んでる気がします。
自分と他者を多面的に捉えて、否定したいところは否定して肯定したいところは素直に肯定するほうが精神衛生にいいと思います。
多面的に捉える場合、何かを肯定したとしても考えが終わることはありません。
その何かの中に否定したいことが見つかるときもあるだろうし、肯定したいことがさらに見つかるかもしれません。
またかつてはどうしても肯定できなかった行為や人のことをよく知るにつれて、
「しかたなかったのかもしれない」とか「わかるような気がしてきた」なんてこともあるかもしれません。
(そうなってくると否定と肯定という単語では示しきれません)
で、何を否定したいかというと一面的な見方を否定したいです。