2011 03/28 08:11
逢坂桜
いた場所:兵庫県神戸市兵庫区の山側、自宅マンション。
地震発生当時、子供の昼寝の寝かしつけをして、
2時間ドラマの再放送を見ていたら、突然、ニュースに変わった。
地震が起こったことはわかったが、
テレビはその後、ドラマに戻ることはなかった。
次々と流される地震の速報と、津波情報。
しかも津波は、警報どころか大警報が出て、範囲も広範囲で。
遠く離れた関西にありながら、津波は届くし、
旦那さんは神戸市沿岸部の埋立地で仕事中だし、で。
テレビの前から離れることもできず、目もそらせず、
部屋は子供がちらかしたまま、台所も洗い物がたんまり。
夕方、やっと旦那さんと連絡がついたが、
私の超不安を笑い、帰宅してテレビを見るまで、呆れていた。
が、テレビを見てからは一変。
阪神大震災の被災者の経験を思い出して、真剣にテレビを見ていた。
遅くまでテレビはつけっぱなしで、各局の地震・津波の続報を、
代わる代わる見ては、少しでも情報がほしかった。
ネットやチャットで、リアルタイムの情報を見ていた。
翌日は、息子の誕生会で、予定通り義母と義祖母が来訪した。
なごやかな時間だったが、テレビはつけっぱなしだった。
前日の注意報が、明石沿岸にも出ていたから、漁に出られなかったそうで、
市場に、旬のいかなごは並ばなかった。
いま、孤立した避難所の続報がないのが、気にかかる。
安否確認すら不明な、約2万人という大きな数字。
平穏な日常に感謝しつつ、自然の大きさに暗澹となる。