生贄合評スレ[64]
2004 11/16 00:08
田代深子

 この際、解釈など問題ではない。もっと言うならこの詩に解釈な
ど不要だ。なぜならここに著されているのは適当に美しげな、感傷
的な言葉で切り抜かれた一光景にすぎない。ああきれいだね、で終
わってしまう類の、絵葉書のようなものではないか。
 これを絵画的と言うことはできるかもしれないが、だとするなら
ば問題はその筆致の力弱さとなるであろう。光景を切り取るとして、
用いられる言葉のなんとつまらなくありきたりなことだろう。どれ
ひとつとして一語が、それに表される対象とのせめぎ合いで迫って
くるものがない。
 稲村つぐは数多く4行詩を書いているが、その形式のしばりは緊
張感でなくルーティンワークしかもたらしていないように思える。
そこに言葉との格闘は見いだせない。同じ形式、同じ題材によって、
読者をもっと鮮やかな光景にさらす詩は書けるはずだというのに。
 耳触りのよい言葉を転がしているだけなら、それは消費物にしか
ならないということに、恐怖を感じないのだろうか。それともただ
心地よく書きたいだけなのだろうか。だとすれば、私はいらぬこと
を言ったものである。
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