生贄合評スレ[429]
2016 10/17 08:57
るるりら

>>427梓ゆいさんの作品【対話】についてです。

おはようございます。おひさしぶりです。(梓ゆいさんにとって、わたしが おひさしぶりかどうか わかないのですが、私にとって現代詩フォーラム自体が おひさしぶりなのです。)
いつだったか、梓ゆいさんは コメントで 仏壇に手を合わせてから
詩に向かうと言っておられた気がしています。今朝は、私も そうしてみました。
切ないですね。なにが 切ないかといいますと
生きてるということは、おおいに悲しいことに出会うものだし おおいにおいしいものを食べることもあれば おおいに笑うこともあるのですが、それらの激しい感情は 過去に体験した事よりも たいした感情の起伏ではない様子。そこが 切ないと 思いました。ベースにある感情の起伏は 常に あまり大きくないから この書き方をしておられる。それって いかばかりの悲しみだろうかなあと 想うのです。

生きていて、もっとも激しい感情に 突き動かされるときは、だれしも やはり 愛する人の死に向き合うときが 一番 激しい気持ちに向き合うのでははないでしようか?
わたしも父を亡くしておりますので、この詩を読んで 父の臨終のときのことや 幼い自分に遊んでくれたこと それから御馳走を喜んでいっしょに食べたこととかを 思いました。(そして、それらのことは なにげに 私も 拙詩として書いてきた事柄でもありますよ。)

ただ、梓ゆいさんのお父さまの 遺されたものって、あるいは 私の父が私に遺したものって
思い出だけだろうか?違うと思うのです。

お父さまが遺されたのは思い出ではなくて、本当は
梓ゆいさん ご自身だと思うのです。

私の文章は、詩に対する批評には なってないと思います。最近、詩と向き合う時間が少なくなっているからなのか批評なんてできません。今日は ひとりの人として書かせていただきました。
梓ゆいさんに なにかしら われをわすれてしまうくらいの とっても素敵なことが起こることを祈っています。
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