生贄合評スレ[419]
2016 08/23 08:51
るるりら

>>417 蛾兆ボルカさんの批評を 読んで、たしかに三人姉妹にだわ。と 誤読だったなあと 思い返しているところです。


ラスト2連について、もうすこし読んでみます。

>>水の抵抗を受けて【沈み】そうになる。
>>慌てないでゆっくりと出なさい。
>>父の腕に支えられ
嵐に呑まれた小船のように
>>小さな身体を湯船に【沈め】た。

蛾兆さんのいうところの 二回の沈没の不可解な余韻について、考えてみました。
語り手は腕を捕まれて、沈没から免れて、大きな安心を得て、
つぎに 湯船に身を沈めているときは、とても安心しているのだろうなあ
そして、湯から上がっても 安心して湯船に心は つかっているままのかもしれないなあ。と思いました。

実際には、語り手は もう大人になっておられるので、
この詩を作者は 読み返すたびに、安心という湯船を追体験しておられるような気がました。
つまり、永遠の湯上りな心を 詩で獲得しようとしているような気もしました。

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追記です。上記の記述より一日たちました。さらに
ラスト2連について、もうすこし読んでみます。

>>水の抵抗を受けて沈みそうになる。
>>慌てないでゆっくりと出なさい。
>>父の腕に支えられ
嵐に呑まれた小船のように
>>小さな身体を湯船に沈めた。

最後の
一。>>小さな身体を湯船に沈めた。と
二。>>水の抵抗を受けて沈みそうになる。とは、心情的には 逆だと思いました。

湯船というものは、言葉が示しているように
ひとつの船であるかもしれないと 思いました。
つまり、
一。は、おぼれそうな心境で
二。 湯船という舟に 乗船して 心が救わていた。みたいな……。

すみません。私の亡くなった父親は造船が仕事だったものでこの発見?が、
わたしには 嬉しかったもので 追記させていただきました。
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