生贄合評スレ[385]
2016 04/22 08:25
高橋良幸

テレビ
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=314727

<1>
既存のステロタイプで構成されている、そんな印象です。が、それは作者が書きたいことではないのでしょう。「テレビ」というタイトルの成り行き上、偏見と無思慮を持って書かなければならない。なので、ステロタイプ、偏見、無思慮はこの詩の基礎の部分と考え、そこをうんぬんする必要はないかもしれません。とはいえ、そうすると書くことも少なくなるので気になった点だけ述べますと、放送の途中で数度ある”大本営発表”は、2種類(大々的に広報すべきものとなるべく秘匿しておくべきもの)に分けられると思うのですが、その扱いが一律なのでステロタイプの面白みが半減しているように思いました。

<2>
>『いやあね、ボクちゃん。そんなとこ、あんまり見ないで。』
この熟女口調で世の中の男が思い浮かべることといえば大抵下ネタだろうし、口調から行ってシミーズが19位ぐらいに入っていてもよさそうですが、「マンコ」が圏外であるらしく、意外性があります。しかし、その次に「太陽」が2位に挙がっていてこれは太陽に縦スジが入ったものだ、と了解することができる。それなのに、司会者はそれをすっと流してしまう。ステロタイプ、偏見、無思慮、隠語、看過。これらを並べて簡単に導かれる教訓といえば、なにかリテラシーに関することになるのでしょう。
しかし、それを今の時代にこのような形態で、わざわざ詩に書く必要があるだろうか。書いてもいいかもしれません。でも、できれば予測範囲内のものではなくて、既視感の少ない詩を読みたかったと思いました。既視感もこの手の詩には必要なのかもしれませんが、もう十分に実物のテレビで行われている(と思われている)ことだと思いますし、巷には権力の不正や世の中の不条理を描くエンターテイメント作品が多数あり、これよりもひどいことがネットにごまんと書かれている中で、そのまま詩に再構築する必要があるのか疑問だ、というのが正直なところです。何か新しい観点を付加することができなかったのか、と思います。この詩は先に挙げたエンターテイメント作品のように対岸の火事と受け取られるか、もしくはネットに溢れる言説のように誇大広告だ、と受け取られる可能性があると思いました。せっかく詩なのだから、もっと個人の実感に引きつけるような文章だったらよかったのではないでしょうか。
「太陽」のくだりから、実は民衆は賢く隠語を使えている、というメッセージなのかとも思いましたが、そうでもないかなあ。以上です。
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