生贄合評スレ[382]
2016 04/19 09:33
るるりら

題名が まず 好きでした。たまたま オフラインでつなげている時間が長かった私だったことあり、題名だけでも 結構 楽しめました。

詩の本文を一読したときの 率直な感想は、状況はとりあえず理解できたぞ。
けれど、感情移入をすべきピントが解らないぞ。
読者として迷う時間が長かったので、感動ポイントにも辿りつきにくかったのですが、
作品の備考欄に (子供が幸せにみえた)と、あったので
ああ すくなくとも作者の感動ポイントは こどもの極上の笑顔がほんとうはあったのだろうなあ。と、いう感じで 追いかけたのですが、いかんせん 追いかけたという感じだったのです。なにかが 足りて無い。それが、私の率直な感想でした。

そんな中で、
>ほぼ聞き取れない泣きながらの声は
受けとるもう一人の声がないままに
モノクロームの静寂を裂く

この連だけが ほかの詩文と空気感が違って感じられました。
この連にヒントがある気がしました。すると、クロスオーバーイレブンという番組のエンディングのに事が 私の頭に浮かんだので、ユーチューブで再生してみました。それで解ったことがあります。https://www.youtube.com/watch?v=-qoRKEZw190

クロスオーバーイレブンという番組自体は、ミニラジオドラマ番組で 最後に男性声優さんのゆったりとした声で、「もうすぐ時計の針が十二時をしめそうとしています。今日と昨日が出会う時、
クロスオーバーイレブン...」でフェイドアウトし その日一日とともに番組が終わるという構成になっていました。

この番組とこの詩の共通点は、色の無いモノクロームな(ラジオですから)番組だったのと「出会い」で終わっていること。そして、時系列を尊重したミニドラマで構成されている点が共通していました。色の無い静寂の中で どのように読者(リスナー)の心をつかむのかが どちらにもポイントとなってきます。

深水遊脚さんの「線路を隔てた迷子」の場合  モノクロームの静寂が足りてないのだと思います。だから出会いの感動が響いてこなかったのではないでしようか?

三連目までで 人が少ないことを示す言葉がたくさんあります。でも問題なのは人の数と質ではないような気がします。

一連目
>乗客の少ない
>駅員不在
三連目
>少ない駅の利用客

けれど、人間が多いか少すくないかではなく静寂が描かれてないからだと感じます。
たとえば、駅の場面のドラマで 列車が通過して登場人物のセリフや雑踏の音が失われて なにも考えることの時間が存在するようなことが 必要だった気がします。
たとえば、【薄暮】を描くとか。ようは人間の思惑とは関係のない背景描写が足りてない気がします。

静寂を介して はじめて、話者と 今まさに迷子になっているのであろう子供とが、
読者にも融合して思えるようになるのではないだろうか?
ラジオでしたら音楽や実際の放送時間帯が深夜ということで 読者を感動に惹きこみやすいのですが、 この詩の場合は読者に もっと モノクローム(色がない)状況と 音のない空間を与えることが必須だったのではないかという気が私はしました。
しかし、とても可能性を秘めたことに挑んでおられて それに感化された他の方の評を拝見するのも楽しかったです。
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