2016 02/04 15:58
るるりら
暗くなるまで待って/蛾兆ボルカ
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=313439
まず第一に感じたのは、これは映画を元にした二次創作物なので、当然のことながら
オードリー・ヘップバーンが主演した この映画を観たことがある人と そうでない人とでは
蛾兆さんの本作品の理解度が大幅に違うと思われます。
本作品を作者の意味している通りに読む適切なターゲットと そうでない人が読む前から しぼられるという特性のある作品だと言えます。
わたしの場合は、大昔にみたことがあるようなないような気がするという なんともはがゆい立場なのでレンタルビデオ屋に行って該当の映画をさがしたのですが、ありませんでした。
オードリー・ヘップバーンが天使であることは知っているだけに、残念です。
映画は知らないのですが、この詩を一言で まとめるて言うならば、本作品は 詩作の授業だと思いました。
●引用> 夢の中で映画を観ながら、僕は詩について考えていた。
僕の回りには象徴があり、それを僕は詩に留めようとして詩を書く。
↑このような書き方から、映画を例にとりあげ 詩というものを考えさせる授業と判断しました。
もっと絞るなら、この作品は 詩作についての啓蒙だとも思いました。
啓蒙とは、「啓」はひらく、「蒙」はくらいの意味からきているので 思い出したのですが、
啓蒙の漢字的意味は 映画及び本作品題名と なんと良く響きあうことでしょう。
詩作作業も 実際のところ ゼロの状態から詩を立ち上げる作業は
あたかも なにも見えない状態から事物を感じていくようなものとも言えます。
盲人が手さぐりでを自身にとりいれて 世界の様子を脳内で再構成する様子は
詩人が現実世界をまさぐり、脳内でひとつの世界を再構成する様と似ています。
この詩は、おそらく詩人あての詩であり
見えないものを観る力を 触発させ詩人のしての目を開眼ようとしている詩だと私は読みました。
それと、この詩は わたしにとって べつの効用がありました。
それは蛾兆さんご自身は おそらく意図しておられない効用です。
わたしは 常日頃、目の不自由な母とすごすことの多い読者なのですが、
私の特異な立場での気づきがありました。
私の母は目が悪いだけでなく耳も悪いのですが、スージーが世界を構成する、もろもろの伝説の中の、ひとつの伝説としての皿のような事柄が 母と私の間にも いつも立ちはだかっていて、母の伝説を読み解くのに私は いつも苦労しているところだったのだと気がつきました。
不理解からくるストレスに対しての あらゆる努力は、地球と繋がるための努力だったと 本作品より思えたことが 私には貴重な体験でした。
スージーが世界を構成しているように
私の母も世界を構成しているのだということに この作品で 気がつきました。
ありがとうございました。
母が世界をどう構成しているのかに 私が興味をもてたということは、私の世界も大きく変わるに違いありません。この詩を拝見できてよかったです。ありがとうございました。