生贄合評スレ[27]
2004 11/05 02:50
クリ

>>26
「けだもの」擁護では決してないのですが、早坂さんの文章がわかりにくくて…。
#なんだか分からないことが最近多くて。こんなときは自分がどんどん「一般」から乖離していくような不安を覚える。---独り言です。

それでも敢えて反論めいたことを挙げると…。

僕はこの詩からさほど「マイナスイメージ」は受けられない。とくに「よだれたらして」「爪」のどこがマイナスなのかわからん。
それはそうだ、だって「マイナスイメージ」はマイナス指向の読者が抱くだけだからね。それがいけないとは言わないです。
解せないのは「マイナスよりですよ、これ」という部分。僕にはほんの少しですが、プラスよりです。

早坂さんの「名付けの自家(です)撞着」の前後が理解が及ばない。これは「意味が取れない」ということです。
言語や思考にとって自家撞着は、必然だと思うんです。避けられない。これを排除すれば何も許容されなくなる。
「この文章は誤りである」という有名なテクストを排除すべきならば、「この文章は正しい」も許されなくなり、
「私が思うことは正しい」もダメ、「私はこう思う」もダメ。コミュニケーション・ブレークダウン。
>人生訓に堕している。
僕もちょっとだけそう感じます。が、そこに至る論理の過程が分かりません。

それから、「名付けようとする過程」も問題ではありますが、「名付けられた結果」も重要です。
特に他との意志疎通において、名付けられた結果=つまり名前は重要です。つまり---
「赤」について議論するとき、大抵は「赤」の定義をせずに始まるんです。それでも議論は成立する。
ある人は「赤は燃えているイメージ」と思っているし、ある人は「赤は血の色」と思っている。
またある人は「赤は危険」、「赤は愛」、「赤はニンジン」と思っている。それでもいいんですが…、
罪は、「自分以外のすべてにとっても赤はニンジンである」と強要することです。
そして、「赤とは何か?」という自分なりの仮定の微調整=フィードバックを拒否することです。
Aさんが「あいつは、けだものだもの…」と考えていることを、Bさんは「あの方は、くだものだもの」と考えているかも知れません。
さらにAさんは赤が大好きなのに、Bさんは大嫌いかも知れません。
ああ、「名付けることの罪」というより「名付けることの功罪」と言ったほうが普遍的でしょう。
名付けなければコミュニケートできないし、名付ければ根本において他から乖離する。
そこまで考慮して初めて、「名付けようとする過程/仮定」が際立ってくる。
いわば「コモンセンス」の絶え間ない研磨です。言い換えれば「常に変わっていこうとする姿勢=自己修正=成長」です。
余談ですが、洗礼者ヨハネが「悔い改めよ」というときの原語の意は、「心を回しなさい」です。
「改心」ではなく、「回心」です。つまり、いつもいつも視点をずらして見るようにしなさい、ということです。
 このタマネギはどんなに剥いても剥き終わらないのです(The Beatles : Glass Onion)

>目をあわせないわりには傷ついたといっているのだが
ここは早坂さん、文脈を読み誤っていると思います。目を合わせようとしないのはけだものではない。
「アンチ・キリスト」になぞらえるならば、「アンチ・けだもの」です。僕の意見に則れば、「ひと」です。
>見るというのは見ようとすることでもあるが
これは同意できません。
「見づらい」は文法的に誤りです。「見にくい」は正しい。「つらい」は意志が入り、「にくい」は入らない。
>見えたというのは結果でしかねーよ
ここも何を言わんとしているのか、僕には理解が及びません。「だから?」という感じ。ああ、反論じゃないですよ。

とても引っ掛かっている結び。
>それはやっぱりつまらない
始めや、中途でそう述べるのは、一向に構わないし、僕も「つまらない」のですが(いとうさん、許してね)、
分析の結として「つまらない」と言うのは、正しくないのではと思います。

「赤は、つまらん」と言ってしまったら、思考停止してしまうのです。
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