生贄合評スレ[24]
2004 11/04 02:52
クリ

僕の印象はたもつさんと非常に似ています。というか僕が書くときもこのテーマで書くことが多いし。
まだこちらには投稿していませんが「名付けけることの罪」というエッセイがベースになっています。
僕にとっては、「けだもの」は、けだものについては語っているはずがないのです。
いとうさんにとても失礼なんですが、この詩を、そう、たとえば「先週までのあらすじ」のように伝えるとすれば、
 「人はよく見もせずにかってに名付けて決めつける」
となります。
たもつさんが引用した作品のほかに、「こときり」があります。

http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=14735

#それが僕の詩の全部だ、つまり僕は
#不可視(君らにとっての不可視)を敷写(しきうつし)するわけだ。


つまりいとうさんは文字でもってけだものを書き、文字の隙間でひとを描いていると思います。
ほら、見方によっては花瓶にも向かい合った顔にもみえる、あのだまし絵です。
坂口安吾は、「余計なところで遊ぶな」と言っただけだと思います。レトリックを否定したわけではない。
なんせこの「だまし絵」は面白いですから。花瓶しか見えない人もいれば、二つの顔しか見えない人もいる。両方見る人もいる。
要は「見えた!/eureka!」ときの、快感ですよ。

あと思いつくこといくつか。
「けだもの」で思い起こすのは、黙示録の「獣」ですね。叙述の方法はここから取ったのかな、と。
そして当然アメリカとイラクですかね。いとうさんがそこまで完全に意識していたかどうかは分かりませんが、想起する人は多いでしょ。
目を合わせもせずにいきなり傷つけたし。
それからもうひとつ、いとうさんの詩。「動物園」
(http://homepage3.nifty.com/prayer/ で読んでね)
これは恐れ多くも英訳させていただく機会があったので覚えているのですが、これもヒントかな、と。
最後。いとうさんがなぜ「けだもの」を未詩にしたか。非常に簡単です。
完成していないからです。詩には起承転結が必要、という気は毛頭ありませんが、
この詩には言うなれば「結」がないんです。最初から書く気はない、とも見受けられます。
「あんたが書け」と、いとうさんは言っているようです。
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