生贄合評スレ[127]
2005 02/12 19:50
ワタナベ

ええと、おこがましいようですが、一寸参加させていただきます。
さてまず第一印象、伝えたいこと、言いたいことはよく分かるとして
これが詩である必然性がどこにあったのだろうという疑問を抱きました。
考察した過程をただ述べているだけですよね。まぁ詩がなんであるかという
議論はこの際置いておくとして、作者の狙いがどこにあるのか。
これは詩情、一般に(この一般という言葉も随分とあやしい言葉のような
気がしますが、まぁそこもスルーしましょう)詩情と呼ばれるものを
一切使わずに詩にしようとした実験的試みでしょうか。そうとらえるならば
考察の過程がまだまだ甘い、と考えます。この内容は例えばませた高校生
あたりならば考え付きそうな考察です。ぱっと湧き上がった言葉であっても
一度立ち止まって観察、考察しなおすことにより後々の誤解や反発を回避
できる、ということなのかな?”世にも不幸で悲惨な惨劇”とはかなり
おおげさな表現ですね。もっと大きな出来事を想定してあるのだろうか。
邪推すると単なるユーモアともとれそうな文脈ですが、真面目にとらえると
して。例えばこの詩を額縁どおりに受け取ってみましょう。一般の方への
警鐘、とすると詩でなければならなかった根拠が希薄になります。では、
詩情を排した実験的試みとしてみてみましょう、すると今度は考察が甘すぎて
読ませる力を持たなくなってしまいます。合評ということですから、ほかの
意見も聞いてみたいと思います。
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