詩と散文を作る手段全般についての情報と意見交換(backup)[436]
11/18 09:13
深水遊脚

(引用 「おいしい魚の選びかた」長田弘『食卓一期一会』)
自然に死んだものはくさくてまずい。
生きたままを殺したものがおいしい。
古人は言った、食卓に虚飾はない。
虚飾にわたれば、至味を傷つけると。

きみは言った、おいしい魚を食べようと。
手に包丁をもって。
(引用終わり)

極端なほどいろいろ食べ物が登場し、比較的入りやすく、難解なところは欠片もないこの詩集ですが、食べることの残酷な側面をしっかり言葉にしたこのフレーズをみて、やはり詩人だなと思いました。自然なまま死んだものが私の食べたもののなかでどれくらいあるかと考え出すと、皆無と言っていいかもしれません。「生きたままを殺したもの」なしには何も成り立たない。牛や豚、魚はもちろんのこと。野菜もそうです。植物が「自然に死んだ」状態で食卓にあがることはまずない。米、小麦、栗やナッツにしても、芽を出す前の種子です。

sadame2さんが蟹を茹でるところをご覧になった体験は貴重だったと思います。食卓にあがるほぼすべてが、生きたままを殺したものですが、手を下すことは稀です。ないわけではありません。貝を茹でるときがそうです。茹でる前に死んだ、殻の開かない貝は食べることができません。石垣りんさんが「シジミ」という詩に書き上げたのも、手を下す残酷さでしょう。

 鳴門に旅行したときのこと。名物だという鯛料理をだす民宿に泊まりました。最初に活け造りがでてきて、動いている鯛が気になりながらも食べていました。すると突然、その鯛が大きく体を反らして暴れはじめました。30センチくらいはある鯛が食卓で、自分の身や、ツマの大根やら何やらを四方に散らして、食べようとする私たちに体いっぱいに抵抗するかのように全力で暴れ続け、しまいには畳の床に落ちてしまいました。

 別の人に聞いた話ですが、しめ方が悪いとそのようになるとのことでした。人によってはトラウマになりそうな体験ですが、私を始めそこに居合わせた罪深く欲深い輩どもにその兆候は全くありませんW
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