10/17 09:47
深水遊脚
茨木のり子さんの『詩のこころを読む』のなかで、恋と愛の区別について書かれていて、詩人はそれらをちゃんと区別して使っているということが書いてあった。なるほど、「恋愛」と十把ひとからげに括る言葉を使ったフレーズは確かに大雑把なものが多い気がする。「恋愛詩」をいざ捜そうとすると見つからないのは、「恋愛」という心の動きの定型をまず頭に思い描き、そこから外れる詩を振るい落としているからかもしれない。
と、ここまで深く考えてのことではなかったけれど、
>>232では「恋愛」は使わず、「恋」と書いた。茨木さんが何を書いたかははっきり覚えていないが、「恋」のほうがより一時的な感情の高ぶりが強いと感じたので。
一時的だから身勝手の度合いも強い。恋するほどに何かを選び取ることは、選び取らなかった物事を排除する心の動きがそれだけ強かったことも意味するのかも知れない。