2010 10/01 12:58
鵜飼千代子
>>145
>出来ない あこがれる それが詩になっちゃう のでしょうか
結論から言うと、なんでも詩になるし、なんにも詩にならないっていうのはあると思う。
テーマや方向性(われわれはこういう詩を書きましょう)がある場合だと、詩にしないものは(書かない)あると思うけれど。
「出来ない あこがれる」を焦燥、羨望、あるいは、嫉妬だとか、そういう角度から書いている詩というのはよくあると思うけれど、そればかりを10代から死ぬまで書いていても芸がないと言うか、本当に
>>147の絵の話じゃないけれど、やっつけ仕事のような気がしちゃいますね。
わたしも手塚漫画を少し読んだことがあるくらいで、S30の漫画事情と今の漫画事情とか、よくわからないんだけど、詩から叫びが消えたように思えるのは、人のそういう詩を読むのは暑苦しく感じる人も多いからかしら。出て来ないだけだと思う。書いている人がいないわけじゃないけれど、選者の手に負えないような若手詩人に賞は出さないだろうし、賞をもらわないと日本の詩のように小さな世界では、詩集を出していることも読者は知らないことが多いだろうし。もう本当にずっと書いている詩人がもらうような賞は、昔叫んでいたような人の「枯れ」を評価しているように思うところがある。侘び寂びの「寂び」の意味で。詩は叫んでいなくても、魂が叫んでいるような年代だと、そういう詩は、表現が引きこもりすぎていてどこがいいのか、とっかかりが掴めないというのはあるような気がする。「風流を解さない」のかもしれないけれど。これも、局所的な私見だけど。