廃人がポツリとつぶやく部屋12[133]
2010 12/10 22:12
salco

>>131
初出なのか不明ですが、『JOHN ONO LENNON』(月刊『宝島』臨時増刊号・JICC出版局発行1981年)に美術商・木村東介氏(当時77歳)のインタヴューが掲載されていました(インタヴュアー 波田 真氏)。それによるとレノン夫妻の来店は1971年1月23日となっています。

(『羽黒洞』店舗から自宅に場所を移して白隠の絵画、芭蕉や良寛の短冊などをジョンが大量買いした後、少し時間があったので歌舞伎座に案内すると)

「(略)舞台はちょうど歌右衛門と勘三郎の『隅田川』を演っていて、場内はまっ暗。華やかどころか陰気な舞台でねえ。セリフがなくて、清元で演っている、そんな場面でした。こりゃ困った。華やかな歌舞伎を見せたいと思っていたので、“出ましょうか?”と言おうとしたら、ジョンの頬にとめどなく涙が流れ出ているんですねえ。とにかく泉のように出ている。それを小野洋子が一生懸命拭いてやっている。(略)子供をさらわれた母親が日夜狂気のように探して、流れに流れて隅田川河畔まで来る。そしてようやく船頭から、殺された我が子が埋まっている場所を教えられると、その土饅頭の下にある我が子に母は泣き崩れるというのがストーリーなんですが、誘拐されて殺されて、というそのストーリーがジョンにわかるわけないし、清元もわかるわけないし、セリフがもちろんわかるわけでもないですねえ。それがわかる、ということなんだねえ、ジョンには。日本人よりもわかっているんだねえ。結局、目で見てるんじゃないんですよね。心で見ているんですよねえ。歌右衛門の演技がまたそれなんだ。型で演じてるんじゃない、心で演じてるから場内を伝わって、ジョンの魂の中にどんどん流れ込んでいくわけだねえ。それがわかって、母親の気持ちがわかって、涙をいっぱいにしていたんですねえ。そこで初めて、芭蕉がわかったジョンの気持ちというのがわかったんですねえ。(略)すべて絵でも書でも句でも歌でも、人間なんだねえ。芭蕉がいいというのは、芭蕉という人間がいいわけなんだ。それを見る人が同じようにいいと、我々が通訳をしなくても自らわかる、そういうものなんですねえ。(略)」
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