詩と散文を作る手段全般についての情報と意見交換 part1[745]
01/16 10:26
深水遊脚

 「知っている」について、言い出しっぺなので書いておきます。何かについてその人なりの把握の仕方があって、それに迷いがないときに、人は「知っている」と口にするのでしょう。その状態に至るまでのプロセス、あるいはそれを目指そうという意志が「知る」という動詞です。探求をやめた時、あるいは最初からそれ以上探求をする意志がない時、「知っている」という言葉が発せられる。
 「知性=知っていること」という把握の仕方は時々、ひどい誤解を生みます。ある人を知的と形容することは、その人に「探求をやめた人」という印象を与えてしまう恐れがあります。なかには本当に探求をやめた人もいるでしょう。その場合はその形容は的確です。でも、探求をやめたかどうかの違いはとても微妙です。その人に迷いや不安が一切ないと断定することはできないのです。あっても敢えて口に出さない人もいます。不断の探求は、どの仕事をする上でも必要になる良心です。多くの人はそうしており、私の考えではそれが真摯さです。「知る」という動詞がその様子を現すと考えます。「知る」という行動が起こるには、「知らない」という状態から出発する必要があります。知らないことを潔く認めることもまた真摯さなのでしょう。
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